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Masaharu Yoshioka
音楽評論家。ソウル、ブラック、ダンス・ミュージックを得意とする。ソウル・ミュージックの情報サイト、『ソウル・サーチン』ウェブ http://ameblo.jp/soulsearchin/ (なお現在ごらんのこのページはソウルサーチンブログのミラーサイトです)と同名イヴェントを運営。1975年以来、レコード、CDなどに添付されるライナーノーツは1,000枚以上執筆。その他、雑誌、新聞、テレビ、ラジオなどの番組出演も。著作に『ソウル・サーチン』、翻訳書に『マイケル・ジャクソン全記録1958-2009』、『マーヴィン・ゲイ物語引き裂かれたソウル』、『マイケル・ジャクソン観察日誌』、『モータウンわが愛と夢』など。Twitterは、http://twitter.com/soulsearcher216 フォローしてください。
TITLE: ● デイヴィッド・ピーストン、54歳で死去
February 04, 2012
● デイヴィッド・ピーストン、54歳で死去
【Soul Singer David Peaston Dies At 54】
訃報。
ソウル・シンガーとして1980年代後期から人気を集めたデイヴィッド・ピーストンが2012年2月1日(水)ミズーリ州セントルイスで54歳で死去した。死因は糖尿病からの合併症。しばらく前から糖尿病を患い、両足を一部切断、義足をつけていた、という。
デイヴィッド・ピーストンは1957年3月13日セントルイス生まれ。幼少の頃はご多分にもれず教会でゴスペルを歌っていた。その後学校教師となったが、教師のレイオフを機にニューヨークに出て、アポロ・シアターの「アマチュア・ナイト」でビリー・ホリデイの「ゴッド・ブレス・アワ・ラヴ」を歌ったところ大喝采を浴びて、プロへの道が開かれた。その後1989年、「トゥー・ロングス」、バラードの「キャン・アイ」などが大ヒットした。その特徴的なハイ・ヴォイスが独特で、当時は多くのファンを集めた。
デイヴィッド・ピーストンの母マーサ・バスはゴスペル・シンガーで、クララ・ワード・シンガーズの一員、姉のフォンテラ・バスは1965年に「レスキュー・ミー」のR&Bヒットを放っているシンガー。
24年連れ添ったハイスクール時代からの妻、ミッチェルによると「彼は陽の当たらなかった最高のアーティストです。素晴らしいシンガー、父、おじさん、でした」という。
ピーストンはミッチェルと2人の息子によって送られる。
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圧巻。
デイヴィッドのライヴは、ショーケースを1989年に見て圧倒された。すっかり大ファンになったが、彼を見ていると、最近だと、その後『アメリカン・アイドル』から出てスターになったルーベン・スタッダードを思い出す。ルーベンも巨漢で、ハイヴォイス。最初、ルーベンが出てきたとき、このデイヴィッドを思い出したほど。どちらも、実に歌がうまい。糖尿病が原因とのことだが、本当に惜しい人たちが次々に亡くなるのでやるせない。
それにしても、よりによって「ソウル界の大物」ドン・コーネリアスの命日と一緒になってしまい、ほとんど報道されていないが、ご冥福をお祈りする。
+++
(特別寄稿)
デイヴィッド・ピーストン・デビュー作、ライナーノーツ。
デイヴィッドのライナーノーツを再掲載します。1989年9月に執筆されたもの。なお、日本盤では久保田利伸さんのライナーとともに掲載されました。表記などは当時のままです。ライナーを読み返したら、当時のことが思い起こされました。ほんとにいいシンガーだったなあ。約23年前のライナーです。まだこの時点では生年月日はわからなかったようですが、それ以外特に書き直すところはないですね。(笑) 当時の興奮ぶりが伝わるというか。(笑)
+++++
■ デイヴィッド・ピーストン・デビュー
Geffen Records (1989-06-20)
売り上げランキング: 38865
今度あなたのレコード・ライブラリーに加わることになった一枚のアルバムをご紹介します。
デイビッド・ピーストンの『イントロデューシング・デイビッド・ピーストン』
「ショウ・タイム・アット・ジ・アポロ」で6週連続勝ち抜き
強力新人デイビッド・ピーストン
とてつもない新人が登場した。このところ、女性シンガーには有望な新人が続々と出ているが、あまり男性シンガーからずば抜けた人が出ていなかっただけに、この新人の登場は衝撃的である。その名はデイビッド・ピーストン。今年の男性新人賞は決定的であり、それだけでなくここ5年を振り返っても、彼ほどのインパクトのあるシンガーはいないほどだ。
丁度、89年5月末、アメリカのブラック・ミュージックの業界誌、「BRE(ブラック・レイディオ・エクスクルーシブ)」のコンフェレンスがロスであり、デイビッドはそのアワード・ショウで2曲を歌ったが、そのリアクションは大変なものであった。僕もステージの真ん前で彼の歌を見ていたが、1曲目(「トゥ・ロングス」)ではそれほどのリアクションはなかったが、2曲目に「ゴッド・ブレス・アワ・チャイルド」を歌いだすと、徐々に観客が立ち上がり、最後には大歓声ともにスタンディング・オヴェイションとなった。目の前にはちょうどクインシー・ジョーンズなどもいたが、彼も興奮して立ち上がって拍手を続けていた。僕自身もただのショウ・ケースで、これほどの歌を聞かせてくれたシンガーに出会ったことがなく、思わず、写真を撮るのも忘れて彼の歌の世界に没頭してしまったものである。
たまたま彼のパブリシティを担当していたのが、知り合いのレジーナ・ジョーンズ女史(60年代に『ソウル』という新聞を出していた人。現在はアーティストのパブリシティ会社をやっている)だったので、すぐにアルバムのテープとバイオをもらった。アルバムは予想以上に素晴らしく、しばらくは毎日の様に聞き、今では今までのところ今年一番のお気に入りアルバムになっている。そのアルバムがこれである。
さて、そのデイビッド・ピーストンはアメリカ南部セントルイスに生まれた。現在30代前半だという。彼の母はマーサ・バスといい、有名なゴスペル・シンガーで、また彼の姉はフォンテラ・バスというソウル・シンガー。彼女は65年に「レスキュー・ミー」というソウルのナンバーワン・ヒットを放っている。
デイビッドが振り返る。「僕はいつも低い声を出したかったけれど、だめだった。だから昔は歌いたくなかったんだ。僕の友達には、こんなでっかい奴があんな高い声を出すというので笑われたものさ。そこで、僕は教会のミュージシャンになったんだ。結局、カレッジにはいった頃、ボーカル・グループにはいったけれど、いつもハーモニーをつけるだけで決してリードは取らなかったよ。」
だが、歌うことを避けていたデイビッドにちょっとした運命のいたずらが起こった。あるとき、母親が歌うはずだった教会で、彼女が来られなくなり、代わりにデイビッドが歌わせられることになった。初めは躊躇していた彼もしかたなく歌い始め、しかし最後にはみんなから拍手喝采を浴びたのである。こうして、彼は再び人前でソロで歌うことに自信を持ったのである。1977年のことだった。
一方、彼はセントルイス大学から教師になるべくハリス・ストウ教師大学で勉強を続け、結局、教師の免状を得、教師になる。しかし、81年、教師のレイオフがあり、彼はニューヨークへ引っ越すことになった。
つまり、彼にとってはニューヨークは教師も続けながら、しかも歌う場所がある地だったのである。
ニューヨークでは彼はゴスペル・ミュージカル『ドント・ゲット・ゴッド・スターテッド』のオウディションを受けるが、ここで、現在のマネジャーであるバリー・ハンカーソンに出会う。このバリーはこれまでにワイナンズ、ジェームス・イングラムなどをマネージしている人物で、彼はデイビッドの歌に感銘を受け、すぐにマネージメント契約を結んだ。
86年、デイビッドはアポロ・シアターの毎週水曜日に行われている「アマチュア・ナイト」に出て、やはり観客を圧倒した。
そして、翌年この「アマチュア・ナイト」がNBCテレビの番組になることになって、番組のプロデューサーがデイビッドに声をかけた。そして、彼にとっての歴史の第一歩が始まった。
ニューヨークのアポロ劇場は、ブラック・アーティストの登竜門としても名高い。この「アマチュア・ナイト」はアマチュア・アーティストのタレント・コンテストのようなもので、もちろん真剣にキャリアを考えてそこに出場するものもいれば、遊び半分で楽しむだけでかえって行く人もいる。
その「ショウタイム・アット・ジ・アポロ」は、毎週4-5人のシンガーやコメディアンなどが登場し、最後にそれを観客の拍手の多さでその週の勝者を一人決め、その人が翌週チャレンジャーの挑戦を受けるというスタイル。アポロの観客は、世界中で一番厳しいという評判だが、それは、よいものには大きな拍手を与えるが、よくないものに対しては、すぐにブーイングをすることから来ている。そこで、アマチュアはもとより、ちょっとしたプロの新人アーティストでさえも初めてアポロに出て、歌うときは緊張するという。
そして、そのアポロに伝説の木の切り株がある。ステージの横においてある切り株は、それに触ってステージに出ると、心が落ち着き、自分の力を最大限に発揮し、いいリアクションを得られる、という言い伝えがあるもので、多くの有名、無名アーティストがその切り株に触ってからステージに上がるのである。
彼も、その切り株に触ってステージに上った。まず、最初は「ブルックリンの学校の先生」という肩書きで登場。司会者との会話で、まだ学校の生徒たちは彼が歌うことを知らない、といっていた。そして、彼はビリー・ホリデイの持ち歌として知られる「ゴッド・ブレス・アワ・チャイルド」を歌った。これは彼の18番となり、ピーストンといえば、この「ゴッド・・・」という評判を得るが、それを歌って、最後にその日歌った全員が出てきて、司会者が「今日の勝者は・・・」といって、一人一人に観客の拍手を求める。すると最後のピーストンのところに来て、それまでのだれよりも大きな拍手と歓声が沸き起こるのである。また、別の週には彼は、ランディ・クロフォードの歌などで知られる「エブリシング・マスト・チェンジ」を歌うが、これもやはり大きな拍手喝采を集めたのである。
ピーストンは、この「ショウ・タイム・・・」で6週間勝ち抜き、結局プロデューサーから最後にはもう翌週は来ないでくれ、といわれたという。つまり、彼が他のシンガーを余りに寄せ付けない圧倒的なうまさと迫力を見せ続けたからだ。
彼のシンガーとしての力量の素晴らしさは既にこの時にはっきりしていた。もともと教会でゴスペルを歌っていただけあり、パワーと歌唱力があることはもちろんのこと、それだけでなく、彼の場合、様々な声色と声で遊ぶというテクニックを備えており、とても普通の新人とは思えないほど。基本的には同じニューヨーク出身のフレディ・ジャクソン、ルーサー・ヴァンドロス路線のシンガーといえるが、それに時として、アル・ジャロウ、スモーキー・ロビンソン、そしてハイ・ボイスゆえに今はなきシルベスターなどを思わせる。声だけで、そのシンガーといえる、最近では珍しい個性的な声の持ち主でもある。
彼は影響を受けたシンガーとしてビリー・スチュアート、ゴスペル・シンガー、レンス・アレン、ルーサー、ダニー・ハザウエイ、アリサ・フランクリン、さらに彼の母、姉などを上げている。
彼は結局、この「ショウ・タイム・・・」を機に87年12月、ゲフィン・レコードと契約。そして、88年9月からデトロイトでデビュー・アルバムの制作にはいった。プロデュースは「ショウ・タイム」のテレビを見てすぐに彼のことを気に入ってくれたマイケル・パウエルが、レコード会社が決まる前からかってでてくれた。彼はアニータ・ベイカーを育て上げた人物として知られている。
こうして出来上がったのが、このアルバムというわけである。
■アルバム紹介
デイビッド・ピーストンの名実ともにデビュー・アルバム。全米では89年6月発売。原盤番号はGEFFIN 24228。プロデュースはアニータ・ベイカーをてがけて有名になったマイケル・J・パウエル。
基本的コンセプトは、歌のうまいデビッドのその魅力を最大限に引き出すことであり、さらにいい楽曲を選び抜いた作品になっている。彼とマイケルはこのアルバムを作るにあたって150曲以上の曲の中から厳選した、という。ロング・セラーとともにアメリカではゴールド・ディスクは確実だ。
初めてのシングルは1.。踊りにも適したのりのある作品で、リミックスはGUYのテディ・ライリー。ビルボード・ブラック・チャート8月19日号で最高3位を記録。
一方、このアルバムでの聞き所は何といいても彼のスロー・バラード群だ。まず、ビリー・ホリデイの持ち歌としても有名だが、彼の名を決定的にした2.「ゴッド・ブレス・アワ・チャイルド」。ダイアナ・ロスのバージョンもあるが、ジャズ的な雰囲気も残しながらかなり良質のブラック・コンテンポラリーに仕上げた。ライブで見せていた頃よりもはるかにうまくなっている。恐らく何度も歌い込んだのだろう。
さらにこれに匹敵するほどの素晴らしいバラードが6.の「キャン・アイ」。一度ならず、聞くほどに味わいが出てくるバラードだ。さらにこのタイプでは3.、4.、8.、9.があり、どれも素晴らしい出来だ。
また、どこかユーロビート風のアップテンポの7.も面白い。
1.に続いてはもちろん2.、6.、3.、4.などまでどれもシングル・ヒット可能、しかもブラック部門だけでなくポップ部門でもヒット性充分だ。
いずれにせよ、今年一番の新人シンガーであり、5年に一度の大シンガーの登場といっても大袈裟ではない。そして、このアルバムも充実度からして個人的にも年間のベスト5に入れられる。
これでこのデイビッド・ピーストンの『イントロデューシング・デイビッド・ピーストン』のアルバムはもうおしまい。いかがでしたか。このCDがあなたのCDライブラリーにおいて愛聴盤となることを願って・・・
[SEPTEMBER 3、 1989: MASAHARU YOSHIOKA]
“AN EARLY BIRD NOTE”
■ 2作目 『ミックスド・エモーション』(1991年)
Mca (1991-10-15)
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OBITUARY>Peaston, David>March 13, 1957 – February 1, 2012, 54 year old
TITLE: ●(続報)「ソウル・トレイン」創始者、ドン・コーネリアス死去の衝撃
February 03, 2012
●(続報)「ソウル・トレイン」創始者、ドン・コーネリアス死去の衝撃
【Shock Of Don Cornelius’s Death】
衝撃。
テレビ番組『ソウル・トレイン』創始者、ドン・コーネリアス死去のニュースは、世界中に大きな衝撃を与えている。特に、ブラック・ミュージック、ソウル・ミュージック関係者からは、追悼の言葉が絶えない。ジェームス・ブラウン、マイケル・ジャクソンらの死去と同様のショックと受け止められている。
2012年2月2日(木)02時30分00秒
(速報)ドン・コーネリアス死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11152771763.html
スティーヴィー・ワンダー。「大変な衝撃を受けています。初めて『ソウル・トレイン』でやったのは、『スーパースティション』でした。彼は、僕のキャリアの上でも大変な貢献を果たしています。もちろん、僕だけでなく、音楽とダンスを世に広めたという点で大変な貢献を果たしました。僕は『アメリカン・バンドスタンド』も、『ソウル・トレイン』も「見て」きたので、ドンの死は心が引き裂かれる思いです。多くの音楽番組が、これらを元にして作ってきているのを知っています。僕は、彼がとても優しい人物だと思っています。もちろん彼と毎日いるわけではないので、すべてを知っているわけではありませんが。メモリアルで何を歌いたいかは、家族に任せます。彼らが歌って欲しいという曲を歌います」
日本でラジオ番組『ソウル・トレイン』、さらにお台場に「ソウル・トレイン・カフェ」(ともに1999年)を持ってきたときのプロデューサーで、1960年代からソウル・ミュージック、黒人文化に詳しく自らもダンサーとしても活動してきた江守アイさんと話した。
江守さんは、ドンと2回ロスアンジェルスで、1回はドンが来日したとき、東京でついていた。東京で「ソウル・トレイン・カフェ」を始めるとき、ミーティングでロスで会ったが、最初に会ったときは、あこがれの人で、怖い人という印象だったが、徐々にいろいろな話をして打ち解けてくると、「店で必要なものだったら、なんでも持っていっていい」とまで言ってもらえるようになった。「ソウル・トレイン・ミュージック・アワード」のトロフィーのレプリカ、ビデオ、レコード、ゴールド・レコードなどいろいろな小物などを持ってきて、店内に飾った。
江守さんは言う。「彼と『ソウル・トレイン』が果たしたものは、間違いなく黒人社会の『ランドマーク』ですよ」
また、2001年の「ソウル・トレイン・レディー・アワード」では、ドンが江守氏を招待してくれ、ものすごくいい席を用意してくれた、という。
来日したときは、つきっきりでドンのケアをしたそうだが、そのときに一緒に奥さんと来ていて、それがしばらく前に離婚の話が進んでいた奥さんだったらしい。かなり若い奥さんだったそうだ。
黒人活動家、アル・シャープトン。「彼はソウル・ミュージックとダンスを、それまでになかったような方法で、世界に紹介した。彼はグローバルなレベルでの文化を変革した人物だ」
また、『ソウル・トレイン』には、黒人だけでなく、エルトン・ジョン、デイヴィッド・ボウイなどの白人、また、久保田利伸、イエロー・マジック・オーケストラなどの日本人も出演している。
先週、一緒に食事をしたというクラレンス・エイヴォント(元サセックス・レコード、モータウン・レコード・チェアマン)によると、自殺をうかがわせるものなど何もなく、本当に驚いている。ただ最近発作が起こるので、自身で車を運転するのをやめた、と言っていたという。
テレビ『ソウル・トレイン』のもっとも大きなポイントは、毎回ブラック・アーティストが一組出演し、口パクながら、動く姿を見せていた、点。もうひとつが、ソウル・トレイン・ギャングと呼ばれるダンサーたちが曲にあわせてラインダンスをするシーン。ここでダンスが大変うまいダンサーが注目されるようになったり、新しいダンスが披露され、それが全米に広まったりした。
また、1分間でアルファベットの文字がボードにばらばらに貼られていて、それを何かの単語に正しく置きなおす「スクランブル・ボード」のコーナーも受けていた。
多くの人が、『ソウル・トレイン』を見て、新しいステップを覚えた。当時はビデオで録画するということができなかったため、ほとんどの人が、毎週決まった時間に必ずテレビの前に座り、そのステップをリアル・タイムで覚えた。
ドンが番組を締めるときのいつものキャッチフレーズは、こうだ。“love, peace and soul.”(愛と平和とソウルを)
+++
ソーラー・レコード。
テレビ『ソウル・トレイン』のアーティストのブッキングを担当していたのが、ディック・グリフィーという人物で、ディックとドンで1975年、「ソウル・トレイン・レコード」を設立、これが1977年、ドンが手を引き、ディックが単独オウナーとなったときに、社名を「ソーラー・レコード」に変更。ウィスパーズ、ミッドナイトスター、レイクサイドなど多数のヒットを放った。ベイビーフェイスなどもここから出てきた。
ちなみにディック・グリフィーは2010年9月24日に71歳で死去している。
2010年09月29日(水)
ディック・グリフィー死去~ソーラー・レコードの生みの親
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10661964556.html
■ソウル・トレインDVDボックス
OBITUARY>Cornelius, Don
TITLE: ●(速報)ドン・コーネリアス、75歳で死去 自殺か
February 02, 2012
●(速報)ドン・コーネリアス、75歳で死去 自殺か
【Don Cornelius Dies At 75: Killed Himself?】
訃報。
1970年代から始まり、大きな人気を得たアメリカの音楽テレビ番組『ソウル・トレイン』を始めたドン・コーネリアスが、2012年2月1日(水)午前4時(日本時間1日午後9時)ごろ、アメリカ・カリフォルニア州シャーマンオークスの自宅で銃で撃たれた状態で発見され、すぐにシーダース・サイナイ病院に運ばれたが4時46分、死亡が確認された。75歳。救急、警察ともに、傷口から自殺とみている。正確な検死報告は後日発表される。
自殺の理由はわからないが、ドン・コーネリアスは、2009年に、妻に離婚を求めていたが、その際の陳述書で「私はもう72歳だ。健康に問題がある。自分が死ぬ前に、この離婚を決めたい」と語っていた。体に問題があったことがひとつの理由かもしれない。妻とは、ドン自身が暴力を振るったりしたことから、不仲が伝えられていた。
クインシー・ジョーンズのコメント。“I am shocked and deeply saddened at the sudden passing of my friend, colleague and business partner Don Cornelius, “Don was a visionary pioneer and a giant in our business. Before MTV, there was ‘Soul Train.’ That will be the great legacy of Don Cornelius. His contributions to television, music and our culture as a whole will never be matched. My heart goes out to Don’s family and loved ones.” (友人であり、仕事仲間であり、ビジネス・パートナーであるドン・コーネリアスの突然の死去に衝撃と深い悲しみを覚えています。ドンは、映像のパイオニアであり、私たち音楽業界のジャイアントでした。MTV以前に『ソウル・トレイン』があったのです。ドン・コーネリアスの素晴らしい伝統、レガシーはこれからもずっと語り続けられるでしょう。彼のテレビ、音楽、そして私たち黒人文化への貢献は誰にも勝る、計り知れないものです。ドンの家族とドンが愛した人々へお悔やみを申し上げます)
ミニ評伝。
ドン・コーネリアスは、1936年(昭和11年)9月27日、シカゴ生まれ。本名ドナルド・コーテッツ・コーネリアス。地元のラジオ局WVONからジャーナリスト、アナウンサー、DJ人生を始めた。全米で人気だったディック・クラークの『アメリカン・バンドスタンド』の黒人版を作ろうと思いつき、シカゴで『ソウル・トレイン』のパイロット版を制作。当初はシカゴのローカル番組だったが、徐々に全米にネットワークを広げ、黒人居住人口の9割以上のエリアで放送されるようになった。
番組コンセプトはシンプルで、レコードにあわせて観客が踊るシーンと、基本は口パク(リップシンク)でゲスト・アーティストが歌うという構成で、アメリカのソウル・ミュージック・シーンに大きな影響を与えた。当時は、なかなか黒人アーティストがテレビに出ることができなかった時代にソウル専門で人気を集めた。一般客とダンスの上手なダンサーが踊り、そのダンサーは「ソウル・トレイン・ギャング」「ソウル・トレイン・ダンサーズ」などと呼ばれた。このダンサーの中から、ジョディー・ワトリーや、ジェフリー・ダニエルズらがスターに育っていった。
『ソウル・トレイン』はアメリカでは1971年10月から2006年3月まで放送され、日本でも当初はTBS、東京12チャンネル、のちにNHK-BSなどで放送された。ドン自身は、開始から1993年まで、メインの司会を務めた。その後もさまざまな司会者が登場するなか、1997年頃まで時折、ドンもでてきた。 週一回の一時間番組(オンエア内容は実質45-48分)、トータルで1117回、放送された。ドンは2008年に、『ソウル・トレイン』の全権利を、「マッドヴィジョン・エンタテインメント社」に売却していた。
1970年代には、なかなか黒人アーティストがテレビ番組に出ることは難しかったが、ソウル・チャートに上がるアーティストは、ほぼこの『ソウル・トレイン』に出ることが出来、スターの階段をかけ上がるようになった。ジェームス・ブラウン、マイケル・ジャクソン、ジャクソン5、プリンス、スティーヴィー・ワンダー、スタイリスティックスなどすべてのブラック・アーティストが登場。『ソウル・トレイン』に出ていない黒人アーティストは数えられないほどの存在となった。
日本人でも、久保田利伸、イエロー・マジック・オーケストラが出演している。
また、日本では1999年4月から東京のFM局Jウェイヴで深夜の時間帯にドン・コーネリアスお墨付きの「ソウル・トレイン」という名前のラジオ番組が始まり、2005年9月まで続いた。1999年、同時にお台場に、「ソウル・トレイン・カフェ」というライヴも出来るカフェも登場。ドン・コーネリアス、スティーヴィー・ワンダーなどもやってきた。
『ソウル・トレイン』は、ソウル・ミュージックの歴史を語る上で、もっとも重要なテレビ番組と言っても差し支えない。そして、それを生み出したドン・コーネリアスは、ソウル・ミュージックの歴史を変えた人物ともいえる。
ご冥福をお祈りする。
(ドン・コーネリアス死去続報が来次第、またお伝えします)
■『ソウルトレイン」DVDボックスセット
OBITUARY>Cornelius, Don (September 27, 1936 – Feburary 1,2012, 75-year old)
TITLE: ●突然の死ということ~川勝正幸さん
February 02, 2012
●突然の死ということ~川勝正幸さん
【Sudden Passing】
川勝さん。
31日の昼過ぎ、ネットやニュースで編集者の川勝正幸さんの訃報が伝えられた。これに愕然とした。最初、渡辺祐さんのツイートで知った。
川勝さんと知り合ったのは、正確には覚えていないのだが、1993年前後ではないかと思う。ロスで活躍するフォトグラファーに紹介された。そんな中で、何回か食事もしたような記憶がある。その後、彼が渡辺祐さんと編集プロダクション「ドゥ・ザ・モンキー」を一緒に始めていたのを知る。93年だと、すでにドゥ・ザ・モンキーなのかな。僕自身は仕事をご一緒したことはないのだが、カウンター・カルチャーに造詣が深く、いろいろなものを書いたり、編集したり、本を出したりしているのは、存じ上げていた。その仕事ぶりは、作品を見れば尊敬に値するものばかりだ。
しかも、川勝さんの死が、自宅の火事だというから、もうやりきれない。だって、その数時間前まで、ツイッターでつぶやいていたんだから。
川勝さんは1956年11月21日福岡県生まれ。55歳だった。
こう同年代の突然の死が続くと、自分もどうしていいかわからなくなる。健康診断、健康チェックか。普段から規則正しい生活を心がけ、抵抗力をつけよう。やはり、毎朝、ラジオ体操しなきゃ。しかし、事故ではなあ。事故にも気をつけよう。
そして、一般論として人生の終わり方って、病気などでフェードアウトがいいのか、予期せぬ形のぱさっとナイフで切ったようなカットアウトのほうがいいのか、ますますわからなくなる。
ご冥福をお祈りしたい。
■ 川勝作品は多数。その代表作のひとつ
■これの入魂の一作
小学館
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■ 川勝氏集大成
■これも。
ソニーマガジンズ
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■ 勝新太郎のすべて
OBITUARY>Kawakatsu, Masayuki (November 21, 1956 – January 31, 2012, 55 year-old)
TITLE: ◎ ピーボ・ブライソン、デボラ・コックス・ライヴ~サーヴィス精神満点のライヴ
February 01, 2012
◎ ピーボ・ブライソン、デボラ・コックス・ライヴ~サーヴィス精神満点のライヴ
【Peabo Bryson & Deborah Cox Live: I Am Your Servant】
サーヴィス精神。
すっかりおなじみで何度目の来日かもう誰もカウントできないほど、来ているピーボ・ブライソン。昨年9月、デイヴ・コーズのゲスト以来、また本人名義では2011年1月以来のライヴ。今回は、ゲストにデボラ・コックスを迎えた。ゲストは前々回がレジーナ・ベル(2010年)、前回(2011年)がシャンテ・ムーア。
毎回おなじみ、イントロで観客全員と握手してからステージへ。そして、最後は10本ほどの赤いバラを観客の女性ファンにプレゼント。サーヴィス精神満点、今回もたくさん日本語をしゃべって受けていた。
デボラは僕は初めて見るような記憶だが、ひょっとしたら、プロモーションなんかで来日しているかもしれない。ステージで「また、日本に戻ってこられて嬉しい」と言っていた。彼女の印象は、なにより、とても肉感的なスタイルで、しかも筋肉質で、それでちゃんと美人ということで驚いた。そして、セリーヌ・ディオン、ホイットニーを彷彿とさせる王道的な歌唱を聞かせる。カナダ・モントリオール出身で、かつてはセリーヌのバックコーラスもしていた。そして、アメリカではホイットニーを育てたクライヴ・デイヴィスのアリスタ・レコードからデビュー。セリーヌ、ホイットニーを思わせるのは、その流れからいっても当然だ。なかなかいい感じだった。彼女は自らのヒットを3曲歌い、最後、ピーボとデュエットで「ホール・ニュー・ワールド」を披露した。
ピーボは、東京公演の前、大阪に約1週間滞在。年恒例の阪急のイヴェントでフルオーケストラをバックに歌ってきた、という。その主催者のリクエストで新しく歌ったが、下記セットリストで5と6。レオン・ラッセル~ダニー・ハサウェイの「ア・ソング・フォー・ユー」とスティーヴィーの「ドゥ・アイ・ドゥ」。これは新鮮! 特に「ア・ソング・フォー・ユー」のような曲は、ピーボにどんぴしゃ、完璧だ。
どうしても、ピーボというとバラード、あるいは、女性シンガーとのデュエット、というイメージを持つ。朗々と歌い上げるのが、ほんとに似合う。
そして、ライヴを見ていると、彼の「フィール・ザ・ファイアー」を聴きたいと思うのだが、なかなかやってくれない。この日も、ライヴ後、楽屋でピーボに再会し、「フィール・ザ・ファイアー」のことを言ったら、「ああ、そうだったな」と思い出してくれた。僕も、来日前にメールなりなんなりしてリマインドしないとダメだと思うのだが。(笑)


左・デボラ・コックス&ピーボ・ブライソン、右・ピーボ&ザ・ソウル・サーチャー
ちょうど、ブルーノートに行く道すがら、車でサム・クックのCDを聴いていたが、ピーボがサムをカヴァーしてもおもしろいな、と思った。彼とサム・クックについて話をしたので、その話はまた後日。
バンドメンバーは前回とドラムスを除いてすべて同じ。そのキーボードのデイヴ・イワタニのルックスが、フィリップ・ウーに似ているので、いつもフィリップがいるのかと思ってしまう。なんてネタはかなり内輪ネタです。
今回はブルーノート(今日・水曜)のほか、コットンクラブも2日(木・金)ある。
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/
■ ピーボ過去記事(ソウル・サーチン・ブログにはたくさんあります)
2011年09月16日(金)
デイヴ・コーズ&ピーボ・ブライソン~稀代のエンタテイナー2人が共演
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11018778223.html
2010年01月31日(日)
ピーボ・ブライソン&レジーナ・ベル・ライヴ(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10446839019.html#main
2010年02月10日(水)
ピーボ・ブライソン(パート2)~テディーとマイケルを語る
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10455090009.html
(ここに過去記事一覧も)
■ ベスト
Sony Music Direct (2004-04-21)
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■ 現段階での最新作
ユニバーサル ミュージック クラシック (2008-01-16)
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■ メンバー
ピーボ・ブライソン(ヴォーカル)Peabo Bryson(vo)
デボラ・コックス(ヴォーカル)Deborah Cox(vo)
クリスティ・ホワイト(バック・ヴォーカル)Kristie White(back vo)
キム・ライリー(バック・ヴォーカル)Kim Riley(back vo)
ダイアナ・デンティーノ(キーボード)Diana Dentino(key)
デイヴ・イワタキ(キーボード)Dave Iwataki(key)
マイケル・ホスキン(サックス)Michael Hoskin(sax)
ドゥワイト・ワトキンス(ベース、ヴォーカル)Dwaight Watkins(b)
J-フライ(ドラムス)J-Fly(ds)
■ セットリスト:ピーボ・ブライソン+デボラ・コックス
Setlist: Peabo Bryson, Deborah Cox, January 30, 2012
[ ]=original artist ( )=singers
show started 21:35
00. Intro-
01. By The Time The Night Is Over
02. If Ever You’re In My Arms Again
03. Tonight I Celebrate My Love
04. If You Love Somebody [Sting]
05. A Song For You [Leon Russell, Donny Hathaway] (今回初歌い)
06. Do I Do [Stevie Wonder] (今回初歌い)
07. King Of Sorrow [Sade]
— Deborah Cox on the stage
08. Sentimental (Deborah Cox)
09. Where Do We Go From Here (Deborah Cox)
10. Nobody’s Supposed To Be Here(Deborah Cox)
— Peabo Bryson back on the stage
11. Whole New World (Peabo +Deborah)
Enc. Ain’t Nobody [Rufus]
Show ended 22:58
(2012年1月30日、月曜、ブルーノート東京、ピーボ・ブライソン、デボラ・コックス・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Bryson, Peabo / Cox, Deborah
2012-
TITLE: ◎デイヴィッド・T・ウォーカー・ライヴ~古典となった芸術的ギターの音色
January 31, 2012
◎デイヴィッド・T・ウォーカー・ライヴ~古典となった芸術的ギターの音色
【While His Guitar Gentle Weeps】
古典。
何度見てもいつも同じだが、何度見てもいつもいい。それはまるで古典の芸術作品に触れるような肌触りと言っていい。古典落語でも、歌舞伎でも、そうした「古典」と称され賞賛されているものは、長い時代を経て評価が確立しているものだ。時の流れが下す診断とは、厳しいものである。
デイヴィッドTのライヴ・パフォーマンスを見ていると、いつも同じだが、いつも素晴らしいと感じ入る。そして、彼のギターの音色そのものが、もはや古典なのだな、と再確認してしまう。
2007年5月に自己名義で単独来日して以来、すっかり日本の土を踏むことが多くなったデイヴィッド・T・ウォーカーの約1年1ヶ月ぶりの来日ライヴ。ただし昨年5月にマリーナ・ショーのバックで来ているので来日自体は8ヶ月ぶりだ。
前回来日と同じメンバー、ウンドゥグ・チャンスラー(ドラムス)、バイロン・ミラー(ベース)、クラレンス・マクドナルド(ピアノ)とデイヴィッドTという4人の侍たちが、再び、ビルボードのステージに立つ。ヴェテラン同士息もあい、おそらくアイコンタクトせずとも、音の響きだけで、意思疎通が出来ているような気さえしてくる。
彼らの場合、けっこうファンキーでグルーヴのある曲(スライの「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」など)も、実にうまく聴かせ、「ユール・ネヴァー・ファインド~ラヴズ・シーム」などのメロディアスな作品もこなす。
そして、デイヴィッドのギターもスペースのある、「余白」の感じられるギター・サウンドだ。
どこを切っても金太郎飴のように、デイヴィッド・Tのギターの音色が醸し出される。まさにワン・アンド・オンリーだ。
デイヴィッドのギターがむせび泣く限り、その瞬間には愛と平和が訪れる。
■過去関連記事
2010年12月14日(火)
デイヴィッド・T・ウォーカー~ギターの匠・人間国宝
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10735756373.html
2009年12月16日(水)
ようこそデイヴィッドTのリヴィングへ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091216.html
2009年08月03日(月)
マリーナ・ショウとドリーム・チームによるドリーミーな夜
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10312956175.html
2008年11月22日(土)
デイヴィッド・T・ウォーカー、ビルボード・ライヴ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081122.html
2007年12月25日(火)
瞬間
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071225.html
2007年12月23日(日)
デイヴィッド・T・ウォーカー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071223.html
2007年12月19日(水)
デイヴィッド・T・ウォーカー、ギターは私の声だ
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071219.html
2007年12月17日(月)
デイヴィッド・T・ウォーカー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071217.html
2007年05月11日(金)
職人
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070511.html
2007年05月12日(土)
音楽愛
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070512.html
2007年05月13日(日)
余韻
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070513.html
2007年05月14日(月)
ライヴ観客温度
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070514.html
■ 「ホワッツ・ゴーイング・オン」収録アルバム
売り上げランキング: 6367
■ ライヴDVDアット・コットンクラブ
売り上げランキング: 12636
■ メンバー
David T Walker (Guitar)
Clarence McDonald (Piano, Keyboards)
Leon Ndugu Chancler (Drums)
Byron Miller (Bass)
■ セットリスト
Setlist : David T Walker, @ Billboard Live Tokyo, January 28, 2012 (Saturday)
Show started 18:02
00. Intro
01. For All Time (Overture)
02. Eleanore Rigby
03. Going Up
04. Global Mindfulness
05. Look Of Love / What’s Going On
06. If You Want Me To Stay
07. You’ll Never Find Another Love Like Mine / Love’s Theme
08. A riff of I Want You Back / Never Can Say Goodbye
09. Lovin’ You
10. With A Little Help From My Friends / A riff of Put A Little Love In Your Heart
Enc. Soul Food Café
Show ended 19:23
(2012年1月28日土曜日、ビルボードライブ東京、デイヴィッドTウォーカー・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Walker, David T.
2012-
TITLE: ◎ プリンス・トーク・イヴェント~安齋肇+湯浅学
January 30, 2012
◎ プリンス・トーク・イヴェント~安齋肇+湯浅学
【Prince Talk Event At Small Place】
クローズド。
『空耳アワー』ホストでもおなじみの人気イラストレーター、安齋肇さんと、音楽評論家、湯浅学さんが、プリンスのことを好き勝手にしゃべるというトーク・イヴェントが、2012年1月27日(金)、渋谷宇田川町の「アップリンク・ファクトリー」で行われた。ここは、かつて、映画『ソウル・パワー』のDVD発売記念イヴェントを行ったところだ。前日に、日本一のプリンス・マニア、ツナさんからこういうのがあると情報が入り、急遽一緒に行くことになった。
僕はその前に、渋谷西武でラルフ・ロールの「ソウル・スナックス」をのぞきに行っていて、ちょっと遅れてしまった。7時15分くらいに着いた。まあ、どうせ、安齋さんのことだから、遅刻して7時半くらいから始まるだろう、とタカを括っていたのだ。そうしたら、なんと、会場ではすでにイヴェントは始まり、安齋さんはすでにそこにいた! ツナさんがなんと一番前の席をプリンス・マニア軍団とともに取っておいてくれ、そこに座った。入っていくときに、安齋さんに「これは、これは…」みたいないじられ方をしたので、思わず「遅刻しなかったんだ…」と言うと、「騙されたんだよ」と。どうやら、7時開始のイヴェントで、5時に集合と言われていたらしい。「おかしいと思ったんだけどさあ」とイヴェント後にワイングラス片手にポツリと言った。
湯浅さんは活躍はもちろん存知あげているが、多分、お会いするのは初めてだと思うので、終了後名刺交換などしたが、彼がこんなにプリンスが好きとは知らなかった。
今回のイヴェントは、プリンスがテレビに出た映像や、最近のライヴ映像などをかけながら、それを見つつ、安齋さん、湯浅さんが好き勝手にしゃべるというもの。テレビの副音声のようなものだ。
この日の映像を集めていたのは、青林工藝舍という出版社で編集の仕事をされている浅川満寛さん。ネットに落ちていたものを、丹念に集めて、DVDに焼いて持ってきた。
「なんでこんなイヴェントをやったかというと、僕がものすごくプリンスが好きで、プリンスのことを話したいんだけど、僕の回りに誰もいないんですよ。今でもプリンス好きな人ってここ(会場)にしかいないような感じで(笑)、安齋さんとプリンスの話をしたかった」と湯浅さん。すると、安齋さん「(プリンスのファンが少なくて)堕落してるねえ! ダメだよね!」。
最初に昨年8月のスイス公演の映像から、「ゴールド」と「パープル・レイン」。最近のオーディエンスはみんなスマートフォンやデジカメを持っていて、それぞれ1-2分、あるいはもう少し長く撮影し、それをユーチューブにアップする。そうした複数ある映像を、なんと全部取り込んで、どこかの「編集小僧」が、プロ顔負けの編集をするのだ。一体カメラ何台あるのか。冒頭の映像など、多数のカメラからの映像があって、テレビを見ているみたい、というか、その場にいる気にさえなってきた。こう好き勝手に撮って、編集までして、さらにそれをネットにアップして楽しめる。まるで、グレイトフル・デッドのような感じだ。
で、映像見ながら、ああだ、こうだ、彼らがいちいち茶々をいれるので、楽しい。友達のリヴィングでお酒を飲みながら、プリンスのライヴ映像を見て、あーだこうだ、言ってる感じだ。安齋さんは冒頭から赤ワインで飛ばしている。
そして、曲によっては、彼らが「ここが見所」「ここに注目」などという感じで、いろいろと説明してくれるので、これまたおもしろい。たとえば、3曲目のビートルズの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープ」では、途中からプリンスがステージを乗っ取る形になるのだが、そこをおもしろおかしく安齋さんたちが盛り上げるので、えらくおもしろくなる。
湯浅さん、安齋さんの語録、記憶の中から。
プリンスというのは「付き合うのはやだけど、そばにいたい(笑)」(安齋)。
アルバム『コントラヴァージー』に封入されていたプリンスのほぼヌードのポスターを取り出し、詳細に解説。「これ、トイレに貼れないでしょう」(湯浅)
「(そのポスターを)友達が来るたんびに見せていたので、ついには折れ筋が切れた」(安齋)
「プリンスがローリング・ストーンズの前座で猛烈なブーイングを受け、プリンスがトイレで泣いた。そこをデイヴィッド・ボウイに見られ、慰められた。っていう話があるが、それは、ウソだと思う(爆笑)」(安齋)
(ポスター見ながら)「プリンス、ボタン好きだよね」(湯浅)
「イラストレーターの湯村輝彦さんは、プリンスのこと嫌いなの。『あいつは、ボタンが多いから』って。(笑) 子供の頃、(湯村さんは)ボタンを縦に踏んづけて、ものすごく痛かったらしい。それ以来、ボタンが大嫌いになったんだって(会場爆笑)」(安齋)
「プリンスはでかいボタンの洋服多い。だから、湯村さんの敵なんだよ」(湯浅)
「背が小さいことへのコンプレックスはあるよね。プリンスって爆笑問題の田中くらいしかないんだよ」(湯浅)
「だから、田中がメイクして歌ってると思ってね(爆笑)」(安齋)
「メイシオ! って声かけるけど、(プリンスより)年上だよね」
さすがに、こういうのだとユーストリームはできない。まさに、こうしたクローズドなトーク・イヴェントだけでできることだ。結局10時過ぎまで3時間以上の熱いトークとなった。しかし、プリンス好きの仲間たちと映像みながら、あーだこーだ言ってくのは楽しい。
以前、ツナさん安齋さんと僕の3人でトーク・ショーを新宿のロフトでやったが、久々にあのときのことを思い出した。もう6年も前なんだ。
■ 過去関連記事・プリンス・トークショー
March 20, 2006
Prince Talk Event Vol.3 Report
http://blog.soulsearchin.com/archives/000905.html
March 21, 2006
Prince Talk Event Vol.3 (Part 2) : Mr. Anzai, Banzaii!!
http://blog.soulsearchin.com/archives/000906.html
July 10, 2006
Prince Talk Event Vol.4
http://blog.soulsearchin.com/archives/001138.html
July 11, 2006
Prince Talk Event Vol.4: Mr. Anzai Talks About Prince
http://blog.soulsearchin.com/archives/001139.html
ツナさんが今回のセットリストを作ったので、それをさっそくご紹介しよう。
■セットリスト~(製作・ツナ):プリンス・トーク・ショー(湯浅学、安齋肇、浅川満寛)2012年1月27日(金)@渋谷アップリンク
event started 19:00
01. Gold, 2011/08/17のスイス公演の映像(Welcome 2 Americaヨーロッパツアー最終日)(数々のオーディエンスショットを編集)
02. Purple Rain, 2011/08/17のスイス公演の映像(Welcome 2 Americaヨーロッパツアー最終日)
03. While My Guitar Gently Weeps(プリンスの途中からのステージの乗っ取り方に爆笑)2004/03/15のRock’N’ Roll Hall of Fame
04. I Wanna Be Your Lover 1980/01/26のAmerican Bandstandディック・クラークに対してふてくされた表情で応対
05. Why You Wanna Treat Me So Bad? 1980/01/26のAmerican
Bandstandディック・クラークに対してふてくされた表情で応対
04. I Wanna Be Your Lover 2004/03/15のRock’N’ Roll Hall of Fameディック・クラークに対してふてくされた表情で応対
05. Why You Wanna Treat Me So Bad? 2011/08/17のスイス公演の映像(Welcome 2 Americaヨーロッパツアー最終日)
06. I Wanna Be Your Lover 1980/01/06のThe Midnight Special(ラムちゃん)←正月からダメだろうw
07. Party Up 1981/02/21のSaturday Night Live
08. 1999 1983/01/28のSolid Gold
09. Purple Rain(なんでスタンドマイク置いてあるの?)1985/01/28のAmerican Music Awards、このあとに「ウィ・アー・ザ・ワールド」のレコーディングが行われるが、プリンスは参加しなかった
10. Come Together(Beatlesのカヴァー)2011/06/30のフランスでのコンサートでカメラマンがステージから落ちるところを助けるシーン(僕がちょうどトイレに行って、一番いいところを見逃した)
11. KISSのPV
12. Gett Offでの酒池肉林 1991/09/05のMTV Video Music Awards
13. Betcha By Golly WowのPV
14. Baby I’m A Star(会場のお客さんからのリクエスト)1985/02/26のグラミー
Event ended 22:10
■ 湯浅・安齋対談が14ページにわたって収録されている漫画誌「アックス」84号
同社ウェッブ
http://www.seirinkogeisha.com/
■”あの貴公子” についてのトーク・イヴェント!
2012.01.23
安齋肇と湯浅学のパープル新年会
渋谷の夜で、画伯と音楽評論家の湯浅学さんが
延々トークしながらビデオを見たりするパープル新年会です。
どなた様もお気軽にご参加下さい!
< 出 演 > 安齋 肇(イラストレーター)、湯浅 学(音楽評論家)
< 司 会 > 浅川満寛(青林工藝舍)
■ 日 時:2012年1月27日(金) / OPEN 18:30、START 19:00
■ 会 場:UPLINK FACTORY(渋谷区宇田川町37-18 トツネビル 2F)
■安齋肇ウェッブ
http://www.office-123.com/harold/news.html
■アップリンク・ウェッブ
http://www.uplink.co.jp/factory/log/004276.php
(ツナさんのご協力を得ました。改めて感謝です)
TALK EVENT>Prince
TITLE: ○ラルフ・ロールのクッキー「ソウル・スナックス」、西武で発売開始
January 29, 2012
○ラルフ・ロールのクッキー「ソウル・スナックス」、西武で発売開始
【Ralph Rolles’ Soul Snacks: Selling Like Hot Cookies】
クッキー。
われらがソウル・ドラマー、ラルフ・ロールが故郷ニューヨークで展開している祖母直伝のレシピーによるクッキー、その名も「ソウル・スナックス」が、日本上陸した。2012年1月24日(火曜)から、西武デパート・渋谷店、27日(金曜)から池袋店とインターネットで発売が開始された。2月14日までは、西武渋谷店A館入口すぐの特設店舗、池袋店では特設会場で発売されている。15日以降は、それぞれ地下(デパ地下)に移る。ニューヨークでは9種類のクッキーが売られているが、日本ではそのうちの5種類が生産され、販売されている。


毎日、お店に立ってます。後を引くおいしさよ。デザートにランチに、夜中のスナックに。いつでもあなたのお手元に! クッキー・サンプルもあります。For your desert, lunch or midnight snacks. Very addictive tastes. Come and see me
ラルフのクッキーのルーツは20世紀始めにさかのぼる。ラルフの祖母で南部生まれのレオラがニューヨーク・ハーレムに移り住んで、クッキーを焼き、友人、教会などに配り始めた。これが好評を得て、1996年に会社を設立。地元ニューヨークで、販売されており、当初は自宅で作って売っていたが、現在ではマンハッタンで60店舗を超える大きなクッキー店になっている。
■「ソウル・サーチン」出演がきっかけで
きっかけ。
ラルフはこのソウル・サーチン・ブログをごらんの方ならご存知の通り、久保田利伸、ナイル・ロジャーズのドラマーとして何度も来日。今回は昨年9月から来日していた。そんな中、2011年12月4日(日)の東京のFM局インターFM(76.1mhz)の『ソウル・ブレンズ』内・吉岡正晴のコーナー「ソウル・サーチン」にゲスト出演。久保田ライヴの話のほかに、自らのクッキーのサンプルを持ってきて、その話をした。すると、この番組を聴いた西武デパートの部長が、局に「このクッキーに興味がある」と連絡、これをラルフに渡した。その後ラルフと西武で話がまとまり、ラルフ・レシピーのクッキーを日本で製造し、「ソウル・スナックス」のブランド名で2012年1月24日から販売を始めた。
西武・渋谷店ではA館の1階に特設販売エリアを作り、クッキーの販売だけでなく、ドラム・セットも置き、ラルフがドラムスもプレイできるようになっている。初日から素晴らしい売り上げをマークし、ラルフも連日朝10時の開店から夜9時の閉店まで立ちっ放しで、店頭にいる。池袋店では7階特設会場で27日から販売されている。
まさに「ソウル・サーチン」がきっかけとなって、この「ソウル・スナックス」が日本上陸したわけで、大変嬉しい展開になった。
今回販売されているクッキーの種類は、スイートポテト、ピーナッツバター、オートミール・レーズンなどで1枚158円(税込み)。このほか、2100円の詰め合わせもある。
販売店舗&期間/
西武渋谷店A館1階=プロモーションスペース 1月24日(火)~2月14日(火)
西武池袋本店7階(南)=催事場 1月27日(金)~2月14日(火) ※一部商品のみのお取り扱い
西武・そごうのショッピングサイト e.デパート 1月27日(金)~2月14日(火)(インターネット販売)
http://www.7netshopping.jp/ss/
■ ラルフ・ロールの「ソウル・スナックス」のオフィシャルサイト(英語)
http://www.soulsnacksnyc.com/
■ ラルフ・オン・メットポッド、クッキーについて語る (英語)
http://metropolis.co.jp/podcast/2012/01/22/entrepreneur-drummer-stars-his-own-line-of-cookies-in-japan/
+++
想定外。
いやあ、こんな展開もあるんだ。12月にラルフが「ソウル・サーチン」に出て、フィリップ・ウーとニューヨーク・オールスターズのライヴ告知などをしつつ、ソウル・クッキーの話をした。
実はラルフは、はるか昔、10年か9年前、『ソウル・ブレンズ』が始まった頃、人の紹介でこの「クッキー」を持ってきていた。そのときは、特に何も起きなかったが、今回は、「ソウル・サーチン」を聞いた西武の部長が連絡してきて、物事が一気に動いた。まるで想定外の出来事だった。おめでとう、ラルフ。今年、一番最初で最大の嬉しい出来事だ。
ラルフは、他の久保田メンバー(タイとフェリシア)は、ニューヨークに戻ったが、2月14日頃まで滞在する。そして、4月に再び、ナイル・ロジャーズのライヴで戻ってくる。

“He’s the guy who made it happen” says Rolle.
NEWS>Ralph Rolles’ Soul Snacks
TITLE: ○ 『ビッグ・スペシャル』でスティーヴィー・ワンダー特集~2月6日から
January 28, 2012
○ 『ビッグ・スペシャル』でスティーヴィー・ワンダー特集~2月6日から
【”Big Special” Featuring Stevie Wonder】
大特集。
毎回、一人のアーティスト、ひとつのテーマにスポットをあて、4日間毎日2時間半ずつ特集する深夜の本格派音楽番組『ビッグ・スペシャル』(東京FM系列ネット)。その2月第2週(2月6日深夜、7日午前1時から)で、スティーヴィー・ワンダーの特集をする。最終日2月9日(木曜深夜、10日午前1時から)には、吉岡正晴も生出演してスティーヴィー・ワンダーについて話をする。今年はスティーヴィー・ワンダーがデビューしてちょうど50周年。さまざまなスティーヴィー・ワンダーの話題、トピックを集めて大特集をする。
過去『ビッグ・スペシャル』では吉岡は次のような特集を担当した。
2011年11月19日(土)
JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル(TSOP)』(パート6)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11082128132.html
2011年09月10日(土)
「ビッグ・スペシャル~モータウン特集」を終えて
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11012691785.html
2011年06月25日(土)
マイケル・ジャクソン命日:3時間特番
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10933253417.html
++++
『ビッグ・スペシャル』は東京FMをキーステーションに全国のFM局で放送される生番組。月曜深夜25時から28時(深夜1時から4時)まで。
番組宛のメールはこちら。
直接メールを送るフォームはこちら
http://www6.jfn.co.jp/mailforms/index/94
『ビッグ・スペシャル~スティーヴィー・ワンダー特集』(東京FM・JFN系列全国ネット)。
2012年2月7日(火)午前1時~4時生放送(6日月曜深夜25時~28時)、『ビッグ・スペシャル~スティーヴィー・ワンダー特集』(東京FM・JFN系列全国ネット)。
関東地区は、関東のラジコで。その他の地区は各地区のラジコでも聞けます。
関東用のラジコ↓
http://radiko.jp/player/player.html#FMT
この『ビッグ・スペシャル』は、毎週月曜深夜25時(火曜午前1時)から木曜深夜(金曜午前)まで生放送しているもので、2月6日の週は、月曜からスティーヴィー・ワンダーの特集を組む。約30以上の局でネットされる。(番組ホームページでは35局のネット局名が出ている)
http://www.fmsounds.co.jp/production/program_detail.php?b=1&p=62&PHPSESSID=vvnqkbcm
当日は生放送ですので、リスナーからのメール、ツイッターでのメッセージなども受け付けます。
ハッシュ・タグは、次のようなものがあります。
ビッグ・スペシャル #bigsp 東京FM #tfm
今回も、本ソウル・サーチン・ブログでは、「スティーヴィー・ワンダー特集」をまとめるつもりです。
■ スティーヴィー・ワンダー 最近の強力3枚組みベスト。
ユニバーサルインターナショナル (2010-08-04)
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ANNOUNCEMENT>Radio>Big Special
RADIO>Big Special>Stevie Wonder
TITLE: ◇ 映画『レッド・テイルズ』~ルーカスが自腹で製作したブラック・ムーヴィー
January 27, 2012
◇ 映画『レッド・テイルズ』~ルーカスが自腹で製作したブラック・ムーヴィー
【Red Tails; The Movie George Lucus Financed By Himself】
赤尾。
2012年1月20日に全米公開された映画『レッド・テイルズ』が話題を集めている。これは、ジョージ・ルーカスが製作したもので、第二次世界大戦時にアラバマ州タスキギーの米空軍基地を本拠に活躍した黒人兵士たちの物語。主要出演者は黒人ばかりなので、いわゆる「ブラック・ムーヴィー」的なジャンルに入る。キューバ・グッディング・ジュニア、テレンス・ハワード、二大ブラック俳優が主演。他にもニーヨ、メソッドマン、ダニエラ・ルーアらが出演。「レッド・テイルズ」(赤いしっぽ)は、彼らが乗るウォーホーク戦闘機の尾翼が赤く塗られていたために、愛称となった。
舞台は1944年、人種差別が色濃い南部アラバマ州タスキギーの米空軍トレーニング・センター。当初、黒人パイロットらはドイツ空軍との空中戦など高度な任務を与えられず、対地上への爆撃など技術的に低い仕事しかさせてもらえなかったが、爆撃機の護衛の仕事などから成果をあげ、徐々に評価をあげていき、リスペクトを得ていく、という物語。
ジョージ・ルーカスがこの話を友人から聞き、映画化を考えたのは1988年のこと。当初は1992年公開を目指した。ルーカスはこのとき、『ローレンス・オブ・アラビア(アラビアのローレンス)』のような詳細に綴る作品を考えたが、何度も脚本を煮詰めていく中で、物語の戦闘部分にフォーカスすることにした。彼は、自身の1988年作品『タッカー』(Tucker: The Man and His Dream)をイメージしたものにしようと考えたという。(『タッカー』は実在した自動車タッカーについての物語)実在する多くのタスキギーのパイロットらにインタヴューし、2007年、ジョン・リドリーが脚本家となり、脚本を完成。この時点では、ルーカスはサミュエル・ジャクソンに監督・主演を打診するが、最終的にジャクソンは脚本は絶賛するが、どちらの役も引き受けなかった。その後監督はアンソニー・ヘミングウェイ(黒人)に。
2009年1月からプリ・プロダクションが開始されたが、製作・配給に関して、メジャーの映画会社が「主要出演者が黒人のため、世界規模で売れない」と難色を示し、結局、総制作費5800万ドル(1ドル80円として約46億円)、さらに配給費用3500万ドル(同・約28億円)をルーカス自ら負担して、完成にこぎつけた。
紆余曲折を経て、2012年1月20日全米で20世紀フォックスの配給で公開され、約1週間で2000万ドルの興行収入をあげている。
ちなみに、このタスキギーの黒人空軍兵士を描いたテレビ映画『タスキギー・エアメンTuskegee Airmen』が1995年に公開されており、このときの主役もキューバ・グッディング・ジュニアが演じている。
黒人の間では、この映画を劇場で見て、積極的にサポートしようという動きも出てきた。また、ホワイトハウスでオバマ大統領らもこの映画を鑑賞している。
アラバマ州タスキギーは、ソウル・ファンにとっては、コモドアーズ/ライオネル・リッチーの出身地として名高い。
映画の日本公開は未定。
■ 映画予告編
http://youtu.be/wityJA7DlII
■ 映画サウンドトラック盤 (2012年2月7日発売)
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MOVIE>Red Tails





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