A Tribe Called Quest/ア・トライブ・コールド・クエスト、1stアルバム制作秘話

December 20,2015 | Category :  Interview | Tag :  A Tribe Called Quest, Ali Shaheed Muhammad, Phife Dawg, Q-Tip,

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Youthful Expression: 果てなき探求の旅

アリ・シャヒードが明かす、ATCQのデビューアルバムの裏側

ア・トライブ・コールド・クエスト(ATCQ)が1990年にリリースしたエポックメイキングなファースト・アルバム『People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』は、ヒップホップ・カルチャーを様変わりさせた。それまでのヒップホップ・カルチャーはド派手なゴールドチェーンやボースティングが特徴だったが、ATCQ、ジャングル・ブラザーズ、デ・ラ・ソウルなどが所属するクルー、ネイティヴ・タンの出現によって、アフロセントリックな思想とファッション、そしてコンシャスなリリックが主流となった。『People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』はジャジー・ヒップホップの流れを生み出した作品としても知られており、まだ十代だったQティップ、ファイフ・ドッグ、アリ・シャヒード、ジャロビが生み出したとは思えないほど洗練されたサウンドだった。

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そんなATCQのファーストの25周年を記念した豪華なリイシュー盤がもうすぐ発表される(註:2015年11月25日に発売された)が、長年彼らのエンジニアを務めたボブ・パワーがリマスタリングを手がけたことで話題となっている。また、ドキュメンタリー映画『Beats, Rhymes & Life』で「ATCQがいなければ今の俺はいない」と公言していたファレル・ウィリアムスを始め、シーロー・グリーン、Jコールのリミックスも収録。筆者は昨年ニューヨークからロサンゼルスに拠点を移したDJ兼プロデューサーのアリ・シャヒードのプライベート・スタジオ(ラファエル・サディークが所有する建物の一室)を訪れ、『People’s Instinctive Travels…』とATCQの歴史について語ってもらった。『Beats, Rhymes & Life』の映画にも登場しなかったディープな制作秘話が目白押しだ。

―― 『People’s Instinctive Travels…』の25周年記念盤をリリースする理由を教えてください。

20周年を迎えるときに再発盤をリリースすることを話し合っていたけど、25周年のほうが意味があるという結論に至って、延期した。実は7年前からATCQのリイシュー・シリーズについて計画していたんだ。今年から毎年1枚の再発盤をリリースして、そのときに特別なことをやる。今年は『People’s Instinctive Travels…』で、ボブ・パワーがリマスタリングを手がけてくれた。ボブ・パワーはATCQの全作品をミックスしたエンジニアだから、俺たちのサウンドを知り尽くしているし、俺たちの歴史における重要な人物なんだ。フレッシュなサウンドに仕上がったから、俺自身、聴き直して改めてこの作品に惚れたくらいだよ。ボブ・パワーのリマスターだけでも十分に価値のあるリイシューだけど、ファレルなどのリミックスも収録するんだ。

―― Qティップとファイフはクイーンズの出身ですが、あなただけがブルックリン出身ですね。彼らとの出会いについて教えてください。

Qティップとは、高校の最初のオリエンテーションのときに出会ったんだ。14歳の頃だ。ティップが(ジミー・スパイサーの)「Adventures of Super Rhyme」の歌詞を全て暗記していたから、すごいと思ったね。それは10歳のときに俺が初めて買ったラップ・レコードでもあって、大好きだった。ティップや彼の仲間と親しくなったけど、ジャングル・ブラザーズのアフリカ・ベイビー・バムとマイクG、それにXクランのブラザーJも同じ学校に通っていたんだ。ビジネス・キャリア専門の高校だったから、会計、コンピュータ、法律、マーケティングなどを勉強していた。俺は前から音楽をやりたかったけど、学校ではマーケティングの勉強をしながら、弁護士になろうと考えていた。結局音楽にのめり込んでしまったけどね(笑)。ファイフとジャロビは別の高校に通っていた。

―― ジャングル・ブラザーズやデ・ラ・ソウルなどとネイティヴ・タンを結成したのは、自然な流れだったのでしょうか?

ジャングル・ブラザーズとは同級生でもあったし、自然だったね。アフリカ(・ベイビー・バム)の家によく泊まりにいったのを憶えている。アフリカも俺もブルックリン在住だったけど、俺がアフリカの家に行くには、マンハッタン経由で地下鉄に乗らないといけなかったから2時間くらいかかるんだ。でも、俺たちは仲がよかったから、苦でもなんでもなかった。ネイティヴ・タンは本当の友情から生まれたクルーだったし、それがジャングル・ブラザーズやATCQの音楽にも反映されたね。

―― ファースト・アルバムを制作したとき、あなたたちは何歳でしたか?

最初に作り始めたのはまだ15歳の頃だ(笑)。「Bonita Applebum」を作ったのが15歳で、本格的にスタジオに入ってレコーディングするようになったのは18歳のときだね。

Qティップ、アリたちが持ち寄ったネタから生まれた楽曲たち

―― ATCQのアルバムでは、プロダクションのクレジット欄にグループ名が記載されていて、個人名が載っていなかったと思いますが、実際に全員で一緒にトラック作りをしていたのでしょうか?

それぞれが使いたいネタが入ったレコードをまず集めたんだ。グループとして一緒にトラック作りをすることもあれば、個人で作った曲を持ち込むこともあった。家で作ったトラックをスタジオに持ち込んで、他のメンバーがOKすれば使えることになる。ティップは究極のMCだから、どのトラックを使うか彼が決めることが多かったね。

―― MPCなどでみんなで一緒にトラックを作っていたわけではないのですね。

それは物理的に難しいね(笑)。みんなで使いたいネタを持ち寄ったりしたんだ。

―― 当時はどういう機材を使っていたのですか?

SP1200、Akai S900、Alesisのドラム・マシンがメインの機材だね。俺の叔父が機材を持っていたから、叔父の家でデモを作ったりした。ディー・ライトのDJトウワ(TOWA TEI)とか45キングのスタジオでもデモを作ったね。スタジオに入るようになるまでは、そういう方法でデモ作りに没頭していた。

―― ATCQはジャジー・ヒップホップの流れを作り出したグループですが、ジャズのレコードをサンプリングするようになったきっかけは?

Qティップと彼の父親の影響だね。ティップの父親がジャズのレコードをよく家でプレイしていたんだ。俺とティップが最初に会ったときはファンクの話をして意気投合したけど、ティップが俺にジャズの世界について教えてくれた。俺にとって全く新しい世界だったね。俺の叔父もジャズ、フュージョン、ロック、ファンクに詳しかった。スレイヴ、オディシー、オーラといったニューヨークのファンク・バンドの曲はみんな好きだったけど、ジャズの影響はティップが持ち込んだんだ。

―― 『People’s Instinctive Travels…』のサウンドはキッズが作ったものとは思えませんが、なぜこのようなサウンドを生み出せたのでしょうか?

周りにいる人たちと同じサウンドを作っていたわけじゃないから、大変だったね。ティップのライムは当時からスムーズで、鼻にかかった声が特徴的だった。彼はLLクールJのようなド派手なライムではなく、とても詩的で落ち着いたスタイルだったんだ。15歳のときからトラックの作り方は変わっていないんだ。トラック作りに関して、俺は叔父から学ぶことが多かった。ティップは、昔からネタをループさせたカセットテープを作っていたり、ブレイクビーツをアイソレートして録音したりしていたから、独自のセンスを持っていたね。俺たちが最初の頃に作った曲を誰かに聴かせても、実はあまり反応がよくなかったんだ(笑)。サウンドが当時のヒップホップとはあまりにも違っていたからだと思う。俺たちはまだ15歳だったけど、自分たちが何か特別なサウンドを生み出しているという自覚はあった。それが一般的に評価されるのは時間の問題だと信じていたよ。

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作品づくりを行うグループの雰囲気

―― ファースト・アルバムのサウンドはとにかく明るくて楽しいですが、レコーディングしたときも、実際にそういう雰囲気だったのでしょうか?

楽しかったね。本格的にスタジオに入ったとき、俺たちは高校を卒業したばかりだった。卒業する前にジャングル・ブラザーズの曲がラジオでプレイされるようになったんだ。ラジオで曲がプレイされるなんて、夢のようだったけど、実際に同年代の仲間がそれを実現させたから嬉しかった。俺たちが高校を卒業した頃は、ニューヨークのカルチャーが最高に楽しかったんだ。ファッション、ヒップホップ、グラフィティなどあらゆるカルチャーのメッカだった。当時はちょうどシュガーヒル・ギャング、トレチャラス・スリー、コールド・クラッシュの時代から、ビッグ・ダディー・ケイン、マスターズ・オブ・ザ・セレモニー、パブリック・エネミー、ブギー・ダウン・プロダクションズ、ジュース・クルー、ウルトラマグネティックMCズに移行した時期で、とてもエキサイティングだった。

16歳から18歳の頃にそういう音楽をリアルタイムで吸収しながらも、自分たちの独自の音楽を作り始めていたから、とても刺激になったね。同時期にデ・ラ・ソウル、フレイヴァ・ユニットのラティー、ラキム・シャバズ、チル・ロブG、クイーン・ラティファとかと仲よくなったし、当時のフィーリングはすごかったよ。ジャングル・ブラザーズとデ・ラ・ソウルの曲が先にラジオでプレイされたから、俺たちもスタジオに入って頑張ったんだ。だからこのアルバムには、夢を抱きながらも自分たちのヴィジョンを貫く若者の気持ちが反映されている。俺たちの音楽が評価されて、家族を経済的に助けたり、母親をゲットーから引っ越させたいという願望もあった。だから、色々な気持ちが入リ混じっていて、このアルバムにはそれらが反映されているんだ。

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―― あなたたちが登場するまでのラップのリリックは、ボースティングが多かったですが、あなたたちのリリックはとてもコンシャスで内省的でした。このリリックのスタイルは、意識的に生み出したのでしょうか? それとも当時の社会情勢を反映していたのでしょうか?

俺たちは性格的に虚勢を張ったり、自己顕示をするようなタイプじゃなかったんだ(笑)。エリックB&ラキムのアルバムのジャケットを見ると、彼らは太いゴールドチェーンを首からぶら下げていたけど、それが当時のスタイルだっただけで、ラキムのリリックを聴いても物質主義的な自慢をしたりしていなかった。俺たちも自分らしく表現していただけなんだ。ニューヨークにはブロンクス、クイーンズ、ブルックリン、マンハッタン、スタテンアイランドなどがあるし、色々な文化の坩堝だ。でもとてもソフィスティケートされていて、世界中の人が集まる街なんだ。

俺たちはリリックで、ニューヨークのカルチャーの深さと多様性を表現した。俺たちは物質的な自慢なんてしなかったし、マルコムX、キング牧師、マーカス・ガーヴェイなどの思想も俺たちが育った環境の背景にあったんだ。公民権運動が起きてから20年以上が経過していたけど、俺たちの両親はその時代を生き抜いた。60年代のアフリカ系アメリカ人は平等のために戦ったのに、俺たちの世代は、地元がクラックやコカインに支配されていくのを目の当たりにすることになった。長生きできないと思っている若者も多かったよ。アフリカ系アメリカ人としての誇りはあるし、俺たちの祖先はアフリカ人だから、自分たちなりの方法で俺たちの人生にも価値があることを表現したかったんだ。

―― ヴィジュアル的には、あなたたちはアフリカの民族衣装を取り入れたり、アルバム・ジャケットなどにも独自のキャラクターを描いていましたが、それは意識的だったのでしょうか?

多くの人を引きつけるようなアートワークを作りたかったし、俺たちの人間性を表現したものにもしたかった。ズールー・ネイションはあらゆる人種、信条、背景の人々を受け入れる団体だったけど、その思想を取り入れて、赤、緑、黄色などのカラーで人々を描いたんだ。人類はみんなひとつだということを表現したかった。ジャケットにある足跡は、人々が団結して一緒に行進していくことを表している。「俺たちについて来い」という意味にも取れるし、「一致団結しよう」という意味としても捉えられる。赤、黒、緑はアフロセントリックなルーツを表している。ファッションに関しては、いつもそういうアフリカ的な服装をしていたわけじゃないけど、俺たちの思想を反映していた。

ア・トライブ・コールド・クエストの名をヒップホップ史に刻んだ名盤を振り返って

―― 『People’s Instinctive Travels…』を作った当時、このアルバムがここまでのヒップホップ・クラシックになると思いましたか?

どのアーティストも、自分のアートの寿命が長いことを願っていると思う。当時から、スティーヴィー・ワンダー、ジミ・ヘンドリックス、アース・ウィンド&ファイアなどの作品に匹敵する作品を残したいという願望があったんだ。俺たちが彼らと同じレベルに到達できるかどうかはわからなかったけど、その気持ちは確かにあった。人間は誰しも自分が生きた証を世界に残したいものだ。そうDNAに刻み込まれているのかもしれないけど、自分の人生に価値があったことを証明したい。25年後にこういうことになっているとは想像できなかったし、俺たちの音楽がずっと愛されて、クラブとかでプレイされ続けるようなことになるとは想像できなかった。ヒップホップ・サウンドはだいぶ変わったけど、それでも俺たちの音楽はプレイされ続けている。

当時は、俺たちの音楽には何かスペシャルなものがあるとは思っていたけど、25年経った今こそ、そのスペシャルな何かをみんなと共有したいんだ。まだ生まれていなかったキッズは、DJが俺たちの曲をプレイするのを聴いたことはあっても、ATCQのことはよく知らないだろうから、是非ともATCQの歴史を知ってほしいね。俺たちは高い目標に向かって努力すること、ユニティー、連体感、そして愛の力を信じている。このメッセージは今こそ、世界中の人々が必要としているものじゃないかな。ひとりで努力するよりも、みんなで団結すれば大きな目標が達成できるというメッセージを伝えたい。最近の音楽は、個の意識が強いからね。

―― このアルバムで特に思い出深い曲はどれですか?

Qティップが「Push It Along」で当時のガールフレンドについてラップしたフレーズがあって、それを初めてレコーディング・スタジオで聴いたときはみんな衝撃を受けたね(笑)。ティップは、前もってみんなにライムの内容を教えてくれないんだ。彼がマイクを握るまで、彼が何を言うか誰も知らない。このアルバムはCalliope Studiosでレコーディングしたけど、当時はあまり防音がしっかりしていなかったから、ティップがこの曲でその女性についてラップしたときに、みんなが歓声をあげたり、ガヤガヤと騒いだりしている声が背景で聞こえるんだ(笑)。

俺たちの当時のマネージャー、クリス・ライティーの声も聞こえるね。残念ながらクリスは数年前に亡くなったから、とても印象深いよ。彼は50セントとかモブ・ディープといったアーティストのマネージャーだったし、ヒップホップ・カルチャーに大きな貢献を果たした人なんだ。俺たちのクレイジーなイマジネーションは、ときにクリスにフラストレーションを与えたけど、俺たちが成長していくのを彼は見守ってくれて、サポートしてくれた。今回のリマスターでも、みんなの騒ぎ声はあえて残しておいたんだ。

―― あなたはイスラム教徒ですが、この事実があなたの音楽にどのような影響を与えていますか?

神の存在を信じなくても、音の波形というのは人間の五感に多大な影響を与えるんだ。これは科学的に証明された事実だよ。音の周波数は人の心にも影響を与える。イスラムの教えは実はとても科学的なんだ。音の波形が人間に影響を与えるわけだから、なるべくポジティヴなエネルギーを注入するようにしている。イスラムでは音楽よりもポエトリーがとても大切にされていて、そういう意味でヒップホップとのつながりを感じるね。俺は音楽を愛しているから、ネガティヴな音楽を作らないようにしている。俺自身、偶像化されたくはないから、実はあまりステージに立つことも好きじゃないんだ。俺たちと観客が一体であることを信じている。

―― 日本にいるATCQのファンにメッセージをお願いします。

今は激動の時代だし、世の中は愛を必要としている。このアルバムがみんなに喜びと目覚めを与えて、愛を広めるきっかけになることを願っているよ。ATCQをサポートしてくれてありがとう。

Words by Hashim Bharoocha / Photos courtesy of Aristos Marcopoulos and Sony Music Archives

RELEASE INFORMATION

A Tribe Called Quest 『People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm – 25th Anniversary Edition -』

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  • Sony Music Japan International
  • 【CD】 ¥2,200 (Tax excl.)
  • SICP-4594

Buy: AMAZON / TOWER / HMV / iTunes

More Info: Sony Music

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