ヒップホップ・ファッションを革新したふたりの女性

November 17,2016 | Category :  Interview | Tag :  2Pac, Hip Hop, Jay-Z, Notorious BIG, onyx,

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The Birth of Hip-Hop Fashion: ヒップホップ・ファッションの誕生秘話

ふたりの若いデザイナーが起こした、ストリート・ファッションの革命

80年代後半から90年代前半にかけて、新時代のルネサンスがアメリカ全土で巻き起こっていた。ヒップホップやニュー・ジャック・スウィングといった新しい音楽が台頭し、それにともなってファッション面も大きな進化を遂げた。ニューヨークのブルックリンには、この新しい文化にインスパイアされ、新たな活動を開始したふたりの若い女性がいた。エイプリル・ウォーカー(April Walker)とアンジェラ・ハント・ワイズナー(Angela Hunte-Wisner)のふたりは新たなファッション・ブームを起こし、ヒップホップ・ファッションに変革をもたらした。彼女たちの革新的なデザインは、アーバン・カルチャーを象徴するスタイルになったのである。

1988年、21歳という若さでFashion in Effectというオーダーメイド/カスタム洋服店をオープンさせたエイプリル・ウォーカー。その3年後に彼女はWalker Wearというブランドも立ち上げた。その先進的なデザインは多くの著名人に好まれ、マイク・タイソン、ノーティー・バイ・ネイチャー、LLクールJ、ジェイZ、ノトーリアスBIG、そして2パックといった、80年代後半から90年代を代表するアスリートやエンターテイナーによって着用された。彼女が手掛けた洋服は、映画、テレビ番組、各種授賞式、ミュージック・ビデオなどでも頻繁に見かけることができた。また彼女は、男性が独占する業界において、自身のクロージング・ラインをスタートさせた初の黒人女性でもあった。

アンジェラ・ハント・ワイズナーは18歳の頃、ミュージック・ビデオ・ディレクター界の伝説であるライオネルCマーティンの制作チーム、Classic Conceptsにおいて、キャスティング・ディレクターとして働き始めた。80年代後半から90年代にかけて数々のヒップホップ/ニュー・ジャック・スウィング系のミュージック・ビデオ制作に関わり、キャスティングだけでなく出演者のスタイリングも担当するようになった。ベル・ビヴ・デヴォー、ジョデシィ、ボーイズIIメン、ハイ・ファイヴ、ボビー・ブラウン、パブリック・エネミー、ビッグ・ダディー・ケインといった、ヒップホップ~ニュー・ジャック・スウィングの人気アーティストのコーディネートを多数手がけた彼女は、音楽アーティストのスタイリストとして活躍した最初の黒人女性でもあった。アーバン・ファッションを革新させたこのふたりの黒人女性に話を訊いた。

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(左)エイプリル・ウォーカー(右)アンジェラ・ハント・ワイズナー Photo by Tom Medvedich

ファッション・デザインを志したきっかけ

―― 服飾デザインを仕事としてやろうと思ったのはいつですか?

エイプリル・ウォーカー:昔から私は起業家のスピリットを持っていたし、クリエイティヴなことが得意だった。学生の頃にファッションに真剣になったけど、卒業後にAmerican Expressで仕事をし始めた。でも、やりたいこととは違ったからすぐに辞めたわ。朝から晩まで、会社で働くということに向いてなかったのね。それは父の影響だと思う。

父はいつだって自分のペースで、自分のルールで生きている人だった。父は一時期、ジャズOとジェイZのマネージャーをやっていたり、音楽業界でクリエイティヴなことをしていて、私に音楽の才能はなかったけど、ファッションのセンスはあった。ダッパー・ダンのことを知ってから余計に情熱を注ぐことになったのよ。ダッパー・ダンは、125丁目で仕立屋をやっていた人で、みんな彼のところにいってオーダーメイドの洋服を注文していた。彼の仕事に魅了されて、私も同じようなことをしたいと思うようになった。彼のビジネス・モデルに倣って、ブルックリンに自分のオーダーメイド・ショップを開いた。

「自分が生み出したファッションが、まさかストリートの定番スタイルになるなんて夢にも思わなかった」 ―アンジェラ・ハント・ワイズナー

アンジェラ・ハント・ワイズナー:私は(ニュー・エディション/ベル・ビヴ・デヴォーの)マイケル・ビヴィンスの影響でスタイリストになった。ライオネル・マーティンのClassic Conceptsでビデオのキャスティングの仕事を始めて、慣れた頃には少し退屈に感じてしまった。あるとき、ベル・ビヴ・デヴォーのビデオの件でマイケルから電話があって、彼らとビデオ出演する女の子のスタイリングをやってくれないかと言われた。彼は私の普段のファッションを気に入ってくれていたみたい。私は昔からファッションが大好きだった。いつもトレンドの服を着ていたし、とてもイケてる恰好をしていたと思う。

それまでビデオのスタイリングをやったことはなかったけど、やってみたらすごく楽しくて、ライオネルに「もうキャスティングはやりたくない」と言った。彼から「それは困るから、両方やってくれ」と言われたわ。それが1990年のことで、本当にスタイリングとキャスティングの両方をやることになった。今考えると、どうやって両方をこなすことができたのか自分でも不思議。しばらくしてから、またマイケルから電話があって、「Biv 10 Recordsというレーベルを立ち上げるけど、うちのアーティストのスタイリングをやってほしい」と言われた。「いいわよ。どういう人なの?」と訊くと、「ドゥーワップ的でアカペラで、ヒップホップっぽいグループなんだ。彼らをとてもナードっぽい感じにしつつ、でもクールな見た目にしてほしい」と言われて、私はとても困惑した。そう、それがボーイズIIメンよ。

私はマイケルに、Ralph Laurenのアーガイル柄のセーターを着せたほうがいいとか、いろいろ提案した。そこからああいうコーディネートに発展していったのよ。試行錯誤して生み出したコーディネートを、私たちは“アレックス・ヴァンダープール時代”と呼んだ。私たちは、ナードっぽいファッションをクールにしたの。あの当時、ああいう服装の男性グループはいなかったわ。何ヵ月か経って、Ralph Lauren店の前を通ったら、蝶ネクタイ、デニムシャツ、アーガイル柄のセーターという恰好をしたマネキンが置いてあった。驚いたわ。そのコーディネートは流行し、どこに行っても、蝶ネクタイ、アーガイル柄のセーターにキャップという服装の男性を見かけたものよ。自分が生み出したファッションが、まさかストリートの定番スタイルになるなんて夢にも思わなかった。当時の私は若くて、どれほどの反響があるのか予想することができなかった。この仕事を12年間続けたけど、今ではまったく違う仕事をしているから、たまに当時のミュージック・ビデオをテレビで観ると、誰も私がしたことを知らないんだろうなと思って不思議な気持ちになる。

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ノトーリアスBIGとエイプリル・ウォーカー。Photo courtesy of April Walker

ヒップホップ・ファッション業界への参入

―― 誰に影響されましたか?

エイプリル:まずはダッパー・ダンね。当時、毎週水曜日にApollo Theaterのアマチュアナイトを観に行って、その後ダッパー・ダンの店に行っていた。彼は世界中で知られていた。憶えているかわからないけど、昔あそこでミッチ・グリーンとマイク・タイソンが喧嘩したのよ。店内に入ると、有名人とか日本人観光客とか、いろいろな人がいた。不思議な光景だったわ。80年代前半のことだけど、あの店では無地のビロードのスウェットを300ドルで売っていた。当時の300ドルなんて、今で言う3000ドルくらいの価値だわ。ダッパー・ダンはリアルな人で、独自の客層を持っていた。彼のことをすごく尊敬していたわ。

もうひとり、とても影響されたのは、Williwearのデザイナーのウィリー・スミス。彼が黒人のデザイナーであったことと、チェックとピンストライプを組み合わせてしまうところが好きだった。70年代や80年代において、それはタブーな組み合わせだったのに、彼はやってのけた。あまりにもそれが上手いから、誰もが彼のスーツを着たくなった。あとは、ネルダという女性にも影響されたわ。彼女はブルックリンにある私の家の近所に住んでいて、いろいろと教えてくれた。私よりも少し歳上の人で、ファッションに関してとても進んでいて、いつも大胆な恰好をしていたわ。ド派手な服を着ていたけど、すごく似合っていた。いつも知らないブランドを着ていたし、誰よりも早く派手なウィッグをつけていた。きっとリル・キムもネルダに影響されたと思う。リル・キムも近所に住んでいたのよ。

アンジェラ:HBCU(註:歴史的黒人大学)の学生が着るためのクロージング・ラインを始めた男性がいて、彼の名前は思い出せないけど、みんな彼の服を着ていた。私のキャリアに影響を与えたのは彼よ。アフリカ系の人が自分のブランドを立ち上げるのを見て、とても勇気づけられた。『Cosby Show』、『A Different World』、『Martin』といったテレビ番組を観ていたら、出演者が彼の洋服を着ていた。誰もやっていないことに挑戦するということを、私は彼から学んだ。それに、エイプリル・ウォーカーにも影響されたわ。

彼女のように、若い黒人女性が自分のブランドを立ち上げるなんて、当時はありえないことだった。男性が主導権を握るこの業界で戦ってきた彼女のことは、もっと評価されるべきだわ。Cross ColoursだとかKarl Kaniといったブランドがアーバン・ファッション界を席巻していて、それに対抗しないといけなかった。みんな、Karl KaniやCross Coloursを着ていたけど、エイプリルが登場し、一気に人気に火が着いた。イケてるアーティストはみんな彼女の服を着ていて、私もずっとエイプリルのデザインのファンだった。

―― 男性主導の業界で働く女性として、どういう困難がありましたか?

エイプリル:私は学校でファッションを勉強していたわけではなく、ビジネスとコミュニケーションを専攻していた。ただ好きだからという理由でファッション業界に入ったけど、学校で教わっていないぶん、実務経験を積みながら学んでいくしかなかった。とても若かったし、女だから、業界でナメられることも多かったわ。Walker Wearは男性向けのクロージング・ビジネスだったから、仕事でやりとりする人は99%が男性だった。経験の浅い女性として、常に主導権を握るために頑張る必要があったわ。

アンジェラ:大変だった。まずはスタイリストとしてアーティストに信頼してもらうのが大変だった。「なんで彼女が俺の服を選ぶんだ?」みたいなことを言う人もいた。「彼女が俺のTimberlandの履き方を理解できているはずがない」という具合にね。最初にRケリーと仕事をしたときは、いつも口論になったわ。当時、私は18歳だったけど、大人の印象を与えないといけなかった。アーティストに信用してもらうために、大人びた恰好をしないといけなかったのよ。当時、スタイリストの女性といえば、赤いメガネをして針差しを持って、テープメジャーを肩にかけているようなおばさんだった。私のような小娘ではなくね。ジーンズを腰履きにして、首にロープチェーンを重ねてかけて、指にフォー・フィンガー・リングをつけているような洒落た娘は、業界にはいなかった。でも一度信頼してもらえたら、年齢のことは些細な問題でしかなくなったわ。

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ジャム・マスター・ジェイ。Courtesy of April Walker.

―― Walker Wearを立ち上げたきっかけは何ですか?

エイプリル:仕立て服を作り続けていたら、次第に私の店が有名になった。最初に店にきてくれたアーティストは、オーディオ・トゥーのミルクとジズ、シャインヘッド、シャギーとかだった。彼らもブルックリン在住だったからうちで注文してくれて、その洋服を実際にビデオとかで着てくれた。そのビデオを観た人たちが同じものを注文しに店にきてくれたのよ。ビギーも頻繁にきてくれた。彼はよくレイアウェイ(註:頭金で予約し、全額支払い後に品物を受け取る方式)で服を買ってくれたわ。ブレイクする前の彼と親しくなり、彼がアーティストとして成長するにつれて、私たちの仲も深まったわ。子供も大人も、アーティストが着ていたものと同じものを求めて私の店にきてくれた。そこにマーケットがあることがわかったわ。

当時はヨーロッパ式の仕立てが主流で、手を入れることができないほどポケットが浅く作られていた。Calvin KleinやGloria Vanderbiltなどが人気でね。男性はもっと深いポケットがほしいと言っていたし、股間の部分をもっとゆったりめに作ってほしいとも言っていた。そういう要望に応えるうちに、供給が間に合わないほど忙しくなった。ジャム・マスター・ジェイもうちの常連で、ランDMCのスタイリングを担当するようにもなったわ。あるとき、ジェイから「自分のブランドをやったほうがいい」と言われて。当時の私はラルフ・ローレンのビジネス・モデルを尊敬していて、広範囲のマーケットを獲得しているのがすごいと思っていた。独自の道を突き進んでいたラルフ・ローレンに倣って、私も自分の名前をブランド名にしようと思い、名字のウォーカーと“ウェア”という言葉を組み合わせた。それはおそらくWilliwearの影響ね。Wをふたつ並べたらクールなロゴになるとも思ったわ。そうやってWalker Wearは始まった。

「彼らの本来の姿を表すスタイリングを心がけていた」 ―エイプリル・ウォーカー

音楽と呼応したファッション・スタイル

―― ヒップホップとニュー・ジャック・スウィングは、あなたのデザインにどのように影響を与えましたか?

エイプリル:確実に影響された。ライフスタイルだわ。昔も今も、音楽とファッションは切り離せない。90年代にはクリエイティヴなスピリットがあった。ジャングル・ブラザーズ、ア・トライブ・コールド・クエスト、デ・ラ・ソウルとか、クリエイティヴな音楽を聴きながら、みんなクラブで踊っていた。若い人にとって、音楽とファッションは自己表現のひとつだった。服装を見れば、その人がどこの出身で、どういうスタイルで生きているのかがわかった。みんな、それぞれに自己表現していて、互いにそれをリスペクトし合っていた。私がミュージシャンと仕事するときは、彼らのメッセージを理解するために音楽を聴かせてもらった。どういう服を着てもらうべきか、イメージを膨らませるためにね。それが私の会社の方針だった。それと、先に写真を送ってもらって、その後実際に対面してどういう人なのか理解しようとしたね。彼らの本来の姿を表すスタイリングを心がけていた。

アンジェラ:ガイとかテディー・ライリーとか、当時のニュー・ジャック・スウィングのアーティストとたくさん仕事したわ。『Juice』とか『Above the Rim』といった映画は、私が手がけたアーティストのビデオに影響されていると思う。音楽とファッションはセットだった。特に50年代、60年代、70年代は、音楽とファッションは一体だったと思う。ニュー・ジャック・スウィングの音楽とファッションも絶妙にマッチしていた。ミリタリー系の服装とか、バンブー・イヤリング、フィット・キャップといったアイテムが一般的になっていた。90年代において、ピチピチのドレスを着ている人なんて見かけなかったわ。そういうドレスを着た人より、普通の恰好をしたどこにでもいる女の子のほうがモテた。だからLLクールJも「Around the Way Girl」という曲をリリースしたのよ。

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マイク・タイソンとエイプリル・ウォーカー。Photo by Fatima Holley-Saxton

アーティストたちは、ストリートで流行っているものを着ていた。私のようにストリート出身のスタイリストであれば、簡単にその感覚を掴むことができた。もしも私が別の場所の出身だったら、きっとああいう服装は思いつかなかったと思う。ラルフ・トレスヴァントとか、当時はいろいろなビデオを担当したわ。最低でも週に5本はビデオ撮影していて、それを8年間続けた。Nikeショップで125足ものAir Jordanを注文した最初の黒人は、きっと私だと思うわ。Nikeのショールームでスニーカーを注文している人なんていなかった。それも私が始めたトレンドよ。Nike IDが登場したとき、「なんでこのサービスは私がデザインをやっていたときになかったのよ」と思ったわ。コーディネートのために、クレヨンとかマジックを使って靴の色を変えたりしていた。撮影時にHi-Tec(註:シューズ・メーカー)に電話して、品物を送ってもらったりもしたね。誰もああいうトレッキング・ブーツを日常的に履いていなかったから、向こうの担当者は驚いていたわ。

Starterというブランドは当時、ジムとか野球の練習で着るような服というイメージで、オシャレとは縁遠いブランドだった。でも私は「Starterのキャップやジャケットをキッズの間で流行らせたい」と思った。実際にアナザー・バッド・クリエイションの「Iesha」のビデオで着せてみたら、人気になったわ。グラフィティ・アーティストの友人に服にグループ名とかをあしらってもらったり、夜遅くまでかけてスタッズを入れたりもした。当時のスタイリストって今のように華やかな仕事ではなく、あまり注目されない裏方仕事で、アシスタントなんていなかった。撮影が終わると、よくアーティストにそのまま服をあげていたわ。そのことが知れ渡ると、他のアーティストも私と仕事をしたがってくれた。

カラー・ミー・バッドの「I Wanna Sex You Up」のビデオで使ったレザージャケットのことを今でも憶えているわ。あれはAvirexのジャケットだったけど、あのビデオによってAvirexは一般的なブランドになったのよ。当時、ああいうジャケットは一部の人しか着ていなかったけど、あのビデオがヒットしてから、Avirexのジャケットがすごく流行った。90年代にはビデオがヒットしたお陰で人気になるブランドがたくさんあったから、アーバン・カルチャーに稼がせてもらったブランドも多かったと思う。

―― 他にはどういうアーティストと仕事しましたか?

エイプリル:クイーン・ラティファ、クレイグ・マック、パフィー、2パック、ノーティー・バイ・ネイチャー、LLクールJ、ジェイZ、オニクス、Rケリー、アリーヤ、EPMD、マイク・タイソンといった人のためにデザインしたわ。あのヘビー級王者がリングの上で私の服を着てくれたのよ。Everlastと私の服以外、マイク・タイソンに服を着てもらえたブランドはないわ。あれは感動的な瞬間だった。映画『Above the Rim』の中で着られている洋服の90%は、Walker Wearだった。オニクスのロゴを作ったのも私よ。

アンジェラ:ジョデシィの「Forever My Lady」のビデオのスタイリングをやっていたとき、パフィーと仕事をしたことを憶えているわ。あのとき私は「白いショートパンツとこのブーツが合うと思う」と彼に提案した。あと、大きいサイズのブレザーと白いフーディも買っていて、軍払い下げの物資販売店でHi-Tecのブーツも買っていた。当時、ああいうブーツはまだ誰も履いていなかったわ。フーディの上にブレザーを着させて、ショートパンツ、そしてHi-Tecのブーツというコーディネートだった。撮影中、彼らが丘の上で「Forever My Lady」を歌っていたとき、「これこそアーバン・カルチャーが生んだ最高のファッションだわ!」と思った。数ヵ月後、ニューヨークのクラブには、あのビデオのような恰好をしている人がたくさんいた。他にも、ハイ・ファイヴ、ボビー・ブラウン、トータル、パブリック・エネミー、ビッグ・ダディー・ケイン、EPMD、NWA、クールGラップ、マスタ・エース、ビズ・マーキーといった人の服もデザインしたわ。

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Walker Wearを着た2パック。ミッキー・ロークとのショット
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女性デザイナーとして先駆者であるふたりが、今思うこと

―― 20年以上のキャリアを振り返って、女性デザイナーとして革新的なスタイルを生み出したこと、そしてそのスタイルが長年アーバン・カルチャーの中で生き続けてきたことについて、どう思いますか?

エイプリル:不思議だし信じられないと思うことがあるわ。とても感謝しているし、こういう経験ができてとても恵まれていると思う。そして、ヒップホップなどのアーバン・カルチャーがこれほどまでに成長していく様子を見ることができたのは、本当に素晴らしいことだと思うわ。当時、それが今後どういうものになるのか、誰にもわからなくて、ただ手探りで好きなことをやっていた。それが今では巨大な産業になった。それに関わることができて光栄よ。昔は銀行口座を開くことさえ難しかったりしたし、このカルチャーは一過性のブームではないと主張しながら、戦い続けないといけなかった。当時は地道に活動して、自分を信じ続けないといけなかった。今では巨大な産業に膨れ上がり、世界中の人がどうにか甘い汁を吸おうと必死になっている。とてもパワフルなものに成長したと思うけど、同時にクリエイティヴなプロセスを濁らせてしまったとも思う。ビジネスがメインになってしまい、それがカルチャー全体に悪影響を与えてしまっていると思うわ。

アンジェラ:女性のパイオニアのひとりであることが、なぜだかわからないけど、長い間私は嫌だった。恥ずかしく思っていたわけじゃないけど、隠していた。人前で喋ったりもしなかったわ。違う仕事を始めて、そっちのキャリアで成功したら、過去のことを訊かれるたびに心を閉ざしていた。「あなたがやったことを多くの人に教えるべきだ。みんな知りたがっている」と言われたこともある。ああいったファッションは、何もないところから忽然と現れたわけじゃない。マイケル・ビヴィンスがああいう服を買ってアーティストに着させたわけではなく、それをやったのは私だった。そのうち、私はスタイリストをやっていた過去を話すようになった。過去のことを語り始めると、みんなすごく興味を持ってくれた。誰もそういうことには興味がないと思っていたけど、ときが経つにつれて、あの時代を大切に思っている人がたくさんいることを知ったわ。今このインタビューを受けていることも誇らしいし、光栄に思う。歳を重ねてから、昔やっていたことをしっかり人に伝えたほうがいいと思えるようになった。あのアーバン・ファッションの革新期において、そこに私の存在もあったことを、人に伝えるべきだと気づいたのよ。

Words by Chris Williams

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