I Will Never Let My Funk Go

Posted by     Kay Suzuki | October 19,2016

魔法にかかったような3年近くの時を経て、実は9月でbrilliant cornersを去る事になりました。

BC_front

自分の人生の大半を占め、自分の持てる全てを出し切ったこの3年間。友達と一緒に創り上げたこの空間が徐々に成功を収めるに連れ、誇りと光栄な気持ちに満たされつつも、同時に本来の自分からだんだんと離れて行ってる事に気が付いたんです。

今年に入って徐々に色んな仕事を人に任せられるようになって、物理的な時間的余裕は少し出てきたものの、それまでは1年以上も制作活動を自粛せざるを得なくなったのは13歳で音楽を始めて以降、人生で2度目の出来事。

1度目はちょうど渡英する前の約1年間。20代前半、当時働いていたDJ/オーディオ機器の販売店を辞めて、アポ無しピンポンの飛び込み営業の仕事を始めたんです。元バンドメンバーのギタリストに誘われる(≦そそのかされる)がまま、髭も剃り、鼻ピアスも外して、多い時には130万以上の月収を稼ぎ出した時もあるほどその仕事の奥深さにしばしヤラれた訳です。もう2度とやりたく無い仕事ですが、この時にマーケティングの基礎から、自己啓発、ナポレオン・ヒルの成功哲学、更には深い人間心理まで多くを学ぶ事になり、最終的には車や録音機材のローンを完済するだけでなく、渡英費用から渡英後の音楽学校の学費まで稼ぐ事が出来た訳です。この時もDJやライブ活動はしていたものの、飛び込み営業というマインドセットと音楽制作をする為のマインドセットのギャップがあまりにも激しく、とてもクリエイティブな事に時間を作る事が出来ませんでした。(昔も今も公私のスイッチの切り替えはあまり得意じゃないんです)

今回に関しても始まりは流れるようにスタート。元々、音響やDJのネットワークについての相談を受けていたんですが、見つかった物件に良いサイズのキッチンがある事が発覚。実は最初は知り合いの年配寿司シェフに話を持ちかけたんですが、この店のコンセプトが上手く理解されず、それじゃ俺がやるよ的な感じで最終的には10ページ以上にも及ぶ企画書を練り上げ、レストランのライセンスと追加資金を調達。最初の数ヶ月は一人でキッチンを切り盛りしたんですが、気が付いたら5人以上のシェフ達を抱えて彼等をほとんどゼロから育て上げてきた訳です。最初はロゴ、メニュー、ウェブサイトのデザインからオンラインストリーミングのセットアップ、プロモーション戦略まで店の経営の根本を築く作業をしながら、友達でありオーナーのPatel兄弟と一緒に方向性を定めて行く内に徐々に独自のスタイルが出来上がって行ったんです。

Beauty & The Beats(もしくは彼等のルーツであるDavid MancusoのLoftパーティ)のスピリットから受け継いだオーガニックで愛に溢れたその成長プロセスはとてもマジカルで、僕達が最初に雇った(一番最初に出した求人広告に一番最初に応募して来た)ウェイトレスの子から始まり、数ヶ月後、その子の彼氏は本格的なレストランの経験もほとんど無いに等しい状態で最初のキッチンスタッフに(今では握り寿司から魚の捌きまで完璧に出来るようになり現在も店で活躍中)。それから徐々に膨らんで行ったスタッフの仲間達の多くは仕事の枠を超えた家族同然の付き合いになって行ったんです。

世界中の音楽業界(=レコードオタク達)やロンドンのナイトライフ界(=遊び人達)の注目も集まり始め、店の評判を得るに連れて、音、酒、食、と全てにおいての追求もより深めて行くことになり、レストランのメニューも日々アップデートを繰り返し、より複雑で日々の試行錯誤と研究が必要になって行く事に。東ロンドンで成功を収める人気の屋台村にポップアップを展開したり、フェスティバルで特設セットを組んだり、今年に入ってからは近所に住むミシュラン星シェフも通い始め、最終的には彼が僕達のキッチンで何度かワークショップを開いてくれて更にメニューの幅と僕の視野を広げてくれた事も。

そんな順風満帆に見える中、前述したように今年に入って実際にキッチンに居る時間は減らせて来た一方、今度は日々追われる新メニューの開発やマネージメント的な部分でより頭を悩ませるようになり、音の制作活動も徐々に再開は出来たもののどうも思った様にはかどらない。どこかモヤモヤしたものを抱えながらそれでも仕事、やらなければいけない事、と自分に言い聞かせながら幾度となくやり過ごして行ったんです。そんな時に久しぶりのRemixやRe-editのリリース予定も決まり、ここ数ヶ月の色んな環境の変化をもあって、自分自身の音楽に対する制作欲求がどんどん増して行ったんです。成長したbrilliant cornersのキッチンに必要なヴィジョンやリーダーシップが必要とされる中、自分の心はどんどんそこから離れて行くのを同時に感じていて、無意識的にも自分で後ろめたさを感じたのか、いつの間にか友達だった筈のパートナー達とは段々ビジネスライクな関係に。。。

それからいくつものマインドトリップを経て、このままだとビジネスにも自分の精神状態にも不健康だと気付いて最終的に自分のベイビーを手放す決心をしたんです。パートナー達ともじっくり話し合った結果、状況を良く理解してくれたお陰で快く僕を送り出してくれ、先月末のbrilliant cornersでのリービングパーティを最後に退職と相成ったわけです。

TSBTB_2016_09

そんな愛に満ち溢れたリービングパーティは色んな音モダチやミュージシャン、これまでBCでプレイして来た多くのDJ達が集まり大盛況。そして最後にはスタッフから心の籠ったメッセージカードにレコードバック、更にパートナーからアナログ・シンセサイザー(!)までプレゼントしてもらい感動のフィナーレ。

gifts

ちなみにこの天才的なメッセージカードを作ってくれたのがbrilliant cornersでブッキングや音楽全般を担当し、今やロンドン中から海外のフェスティバルでも活躍するDJで、家族同然のソウルシスター、Donna。僕の10代後半の頃の写真を探し出し、当時からずっと欲しかったアフロを加えて(笑)、昔ふとした会話で僕が彼女に話した時に出てきた文句をその中にインサート。僕の人生の新たなスタートに相応しい感動的なアート作品をプレゼントしてくれたんです。

Donna drawing

ちなみにオリジナルの写真がこちら。
僕の当時のバンド、”Funk侍”でのリハーサルでの一コマでした。

KaySuzuki_Circa98_2

その時のパーティなミックスはこちらから。

退職した週明けにはGilles Petersonが最近本格的に始動させたオンラインラジオ局、Worldwide FMに出演し、もう長年の友人で2年前のベトナムでのギグでも一緒だったホストのThristian BPMと楽しいチャットを交えながら2時間の出演。ここではアンビエントから細野晴臣、ニューエイジ・インディアン、ハイライフ、そしてもう直ぐ発売される僕のRe-editリリースも収録。その時の模様はこちら。

そしてその週末には初めてのクロアチアの首都、ザグレブのリアルなアンダーグラウンド箱で僕の大好きなプロデューサー/ギタリスト/DJのJonny Nashと共にプレイし(彼はBCの1周年記念パーティでも素晴らしいライブセットを披露)、その後4日間はこれまた長年の友人で今回のギグをブッキングしてくれた元シンガポール在住、現バリ在住のクロアチア人プロモーター/レーベルオーナーのMislavの豪華過ぎるザグレブの自宅にステイしながら休暇を満喫。

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Mislaveと彼のレーベルBurekのパートナー、Pytzek

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実はかなりの料理の腕前の2人

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退職しても僕のbrilliant cornersとの音楽的関係は変わらず、今週の木曜はなんと日本からCalmさん(Organ languageから彼のソロまで日本に居る頃からのファン)と、我が日本が世界に誇るスーパージャズバンドSoil & “Pimp” Sessionsの社長と二人の伝説的日本人ゲストを迎えてbrilliant cornersでパーティ。

facebookイベントページ

ロンドン在住の日本人の方はお見逃しなく。facebookのイベントページはこちらから

そしてそのまま今週の日曜には別の東ロンドンの箱での僕の最近のお気に入りのSunday party、Social JoyにてAl Dobson JrとレジデントのGuilhemと共にプレイ。この日に備えて僕の最近のお気に入りレコードを紹介するビデオも作ってくれました。ちょっとストーンでマゴついてますがそこはご愛嬌w

Social Joy

という事で、僕のファンクへのリターンは幸先良くスタート。

今後の予定についてはまだまだ謎な部分が多々ありつつ(苦笑)、自分の中に流れてくるポジティブなエネルギーを頼りに、自身の音楽制作だけでなく、あらゆる方法を用いて自分が愛する音楽に貢献出来る機会を沢山作れればと思ってますので、日本の音モダチの皆も何か面白い企画があれば是非声を掛けてください。

I will never let my funk go. 何があっても僕からファンクを引き離す事は出来ないのです。

Bless
K

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