オハイオ・プレイヤーズ/Pファンクのジュニー・モリソンが逝去

February 17,2017 | Category :  News | Tag :  George Clinton, Junie Morrison, Ohio Players, P-Funk,

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ファンク・レジェンドが62歳で亡くなったことが遺族により発表された。

ファンク界、そして音楽界全体に多大な影響を与えてきたミュージシャン、ウォルター“ジュニー”モリソンが2月16日に他界したことを、彼のFacebookページにて遺族が発表した。62歳であった。死因は明かされていない。

1954年にオハイオ州デイトンに生まれたジュニーの音楽界における最初の活躍は、1970年代前半、オハイオ・プレイヤーズのキーボード奏者、ヴォーカリスト、作曲家、プロデューサー、アレンジャーとしてであった。『Pain』、『Pleasure』、『Ecstasy』といったオハイオ・プレイヤーズのアルバムの数々の曲を手がけており、特に彼が作曲/アレンジを行った1973年の大ヒット曲「Funky Worm」でのシンセの演奏は、のちのGファンク・サウンドの確立に大きく貢献した。

1974年にオハイオ・プレイヤーズを脱退した後は、3枚のソロ・アルバムを発表。自身の作品ではキーボード/シンセサイザーにとどまらず全ての楽器を演奏し、マルチ奏者としての才能を発揮した。

その後、以前より交流があったジョージ・クリントン率いるパーラメント・ファンカデリックと活動を共にするようになり、78年から81年の間、Pファンクを語る上で外せない重要な存在となった。なかでも、ジュニーが手がけた名曲のひとつとして語られる1978年リリースのシングル「One Nation Under a Groove」は、基盤となるトラックをジュニー・モリソンひとりで作り上げていた。また、「(Not Just) Knee Deep」は作曲クレジットがジョージ・クリントンになっているが、ジュニーと共同作曲したのだとクリントンはインタビューで明かしている。81年以降はPファンクのツアーに参加しなくなるも、ジョージ・クリントンやPファンク関連作で彼の名前はたびたびクレジットされている。1997年には、パーラメント・ファンカデリックの一員としてロックの殿堂入りを果たした。

80年代前半に再度3枚のソロ作をリリースしたが、以降は基本的に他アーティストのプロデュースに専念し、90年代にはソウルIIソウルなどを手掛けた。2004年には最後のアルバムとなった『When the City』を自レーベルJuniefunkより発表した。近年はBandcampなどでも作品を発表していた。

Rest In Peace Junie Morrison. ご冥福をお祈りします。

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