Dam-Funkインタビュー/デイム・ファンクが語るオリジネーターとしてのプライド

November 28,2015 | Category :  Interview | Tag :  Dam-Funk,

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Virtuous Progression

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ブーム化する以前からひたむきにシンセ・ブギーを追求していたモダン・ファンクの伝道師、デイム・ファンク

今やマーク・ロンソンやファレル・ウィリアムスを始め、世界的に80年代のブギー・ファンクを取り入れているアーティストが多いが、デイム・ファンクがStones Throwから2009年に『Toeachizown』をリリースしてなければ、このブギー・リヴァイヴァルは生まれていなかっただろう。ロサンゼルスで生まれ育ったデイム・ファンクことデイモン・リディックは、子供の頃からスレイヴ、キャメオ、ザップ、Pファンクにのめり込み、のちにウェストサイド・コネクションなどのウェッサイ・ヒップホップのスタジオ・ミュージシャンとして活躍したが、自身のファンク・ミュージックを追求することを決断。彼が2006年に立ち上げたブギー・ファンクのクラブ・ナイトFunkmosphereは今やLAを代表する人気イベントとなり、彼は“モダン・ファンク”の伝道師として知られるようになった。

ブギーをトレンドとして真似するアーティストが多い中、ずっとファンクを愛し続けてきたオリジネイターのデイム・ファンクは、スレイヴのボーカリストであるスティーヴ・アーリントンともコラボレーションをし、スヌープ・ドッグとウェストコースト・ヒップホップの最新形を体現した『7 Days of Funk』などもリリースしてきた。

そんな彼がリリースする6年ぶりのソロ・アルバム『Invite the Light』では、先述のスヌープを始め、オハイオ・プレイヤーズのジュニー・モリソン、Qティップ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー、シャラマーのプロデューサーとして知られるリオン・シルヴァース3世、女性ラッパーのキッド・シスター、スライ・ストーンの娘であるノヴィーナ・カーメル、インディ・ロック・シーンのアリエル・ピンクなど幅広いゲストをフィーチャーし、モダン・ファンクを新たな次元に昇華させた。そんな彼に、新作を作り終えた心境について語ってもらった。

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レコードショップ店員からGファンクのスタジオミュージシャンへ

―― あなたはもともと、音楽的な家庭の出身なのでしょうか?

父親はサックスとキーボードを演奏していて、父親の兄弟はホーン奏者だったし、祖父がシンガーだったり、軍隊で指揮者をやってた。6歳のときに父親がドラム・セットを買ってくれて、そのときからずっと叩いている。アイアン・バタフライの「In-A-Gadda-Da-Vida」という曲を流しながらよくドラムを叩いたよ。父親は様々なレコード・コレクションを持ってたし、俺が音楽をやることをサポートしてくれた。土曜日になると、父親がPoo Bahというレコード店に連れて行ってくれたんだ。のちに、俺はPoo Bahの初の黒人店員になった(笑)。

―― キーボードは独学なんですか?

完全に独学だよ。家の中にドラム・マシン付きのオルガンがあった。耳コピで演奏できるようになったよ。レッスンは受けてない。高校生のときに、ドラムのレッスンを受けたけどね。キーボードは、自分独自の方法で覚えたんだ。

―― 初めて買ったレコードは?

ジョルジオ・モロダーの『Midnight Express』の「The Chase」の12インチだった。リック・ジェームスの「You and I」も同時に1978年に自分のお金を出して買ったんだ。その前は、両親のレコードを聴いていた。

―― そこからどうやってファンクやプリンスの世界にのめり込んだんですか?

近所でみんなが聴いてた音楽なんだ。そのときから、プリンスやキャメオみたいな音楽が人気があった。学校まで歩いて、女の子を追っかけてるときに、そういう音楽が流れてたよ(笑)。でも、俺はあらゆるスタイルの音楽が好きで、ヘヴィメタルも好きだったから、KISS、ラッシュ、アイアン・メイデン、ヴァン・ヘイレンなんかも聴いてた。昔はいろいろなラジオ局を聴いて、いろいろな音楽を吸収した。

メタルを卒業してから、デペッシュ・モード、ソフト・セルとかのニューウェイブを聴くようになったけど、その流れでクラフトワークの『Tour de France』、エジプシャン・ラヴァー、プリンスを聴くようになった。当時はランDMCやファット・ボーイズが流行ってたし、そういう音楽も聴いていたけど、そこからもっとファンクを掘るようになってザップのレコードを探したりしてた。

―― そこからどうやってGファンクのスタジオ・ミュージシャンになったのでしょうか?

高校生のときに、Stones Throwからリリースされた『Adolescent Funk』に収録された曲をレコーディングするようになった。高校を卒業したあとに、NWAとかが流行りだして、LAのヒップホップは生楽器とかファンクを取り入れることが流行りだした。当時は、LAのヒップホップ・シーンでPファンクやザップが再評価されるようになって、そこから、ジェームス・ブラウン中心のサンプルから、Pファンク中心のサウンドになった。

その流れで、キーボード奏者の需要が高まり、俺はオールフラムザIというグループのビンキー・マックと出会った。ビンキー・マックのセッションで演奏するようになって、そこからMCエイト、ウェストサイド・コネクションの曲でも演奏するようになった。『Thicker Than Water』のサントラに収録されたウェストサイド・コネクションの「Let It Reign」で演奏したよ。

そういうセッションをやってる中で、みんなは俺のことをリスペクトしてくれたし、名前をクレジットに入れてくれたし、ちゃんとギャラも払ってくれたけど、ウェストコースト・ギャンスタ・ラップばっかりやるんじゃなくて、自分のためにファンクだけに集中しようと決断したんだ。ある日、高速道路を運転してたときに、スティーヴ・アーリントンの「Nobody Can Be You But You」を聴いて、心境が変わった。「もうヒップホップをやめて、本当にやりたい音楽をやろう」と。

日中は普通の仕事をやりながら、夜は音楽制作に打ち込んだ。金をためて機材を買って、自分の音楽をMyspaceにアップするようになって、それをピーナッツ・バター・ウルフが聴いたんだ。ウルフがFunkmosphereを見て、俺のMyspaceの曲を聴いてくれてから、「Burn Rubber」のリミックスを頼んでくれたんだ。

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―― 新作はGファンクからアップテンポなトラックまで幅広く入っていて、本当に素晴らしい内容だと思いました。

ありがとう! 最近は808ベース中心のビートとか、トラップ・ミュージックが流行ってるし、口に綿を詰め込まれたようなモゴモゴさせながらラップする連中とか、ニガとかビッチとかばっかり言う連中もいるから、そういう状況で聴いてくれて嬉しいよ。

―― 低音がかなり効いてますが、新しいベース・ミュージックには距離を置いてますか?

全く影響されないよ。周りの音を全部シャットアウトして、自分のハートと魂を掘り下げて新作を作ったんだ。このアルバムでは、俺の人生で経験したことを表現して、これまでのファンクの歴史を継承しつつ、未来に向けて進化させたかったんだ。このアルバムや、これまでの俺のリリースは“モダン・ファンク”と捉えてるんだ。周りの音楽には影響されてないんだ。

―― 以前あなたのスタジオを訪れたときに、キーボードとドラム・マシン数台だけでトラック作りをしてましたが、新作のサウンドは洗練されていると思いました。新作から機材周辺は変更したのでしょうか?

そうなんだ。今はPro Toolsでレコーディングしてるから、サウンドがもっとクリアになった。以前は、CDバーナーに直接レコーディングしてたんだよ。今はそれぞれのチャンネルを分けてレコーディングしてるから、可能性が広がった。でも使ってる楽器は、以前と同じくアナログ機材が多い。俺はプラグインよりも、ハードウェアのほうが好きなんだ。他のミュージシャンが色々なプラグインやソフトウェアを使ってるのはわかってるけど、あえて一線を画すためにハードウェア機材を使うほうが好きだ。

―― 以前のようにRolandのキーボードを使ってるのでしょうか?

そうだね。少し機材を変えたけどね。Linn DrumとOberheimは昔ほど使ってない。ここ数年間、俺の『Toeachizown』とかプリンスの影響で、使ってる人が多すぎたし、そういう流れと距離を置きたかった。最近モダン・ファンクを作ってる連中は、俺が4年前から使ってたのと同じドラム・マシンを使ってるから、違うドラム・マシンやシンセを取り入れることにしたんだ。

―― 新作ではどんな機材を使ったんですか? 以前と同様、サンプリングはしない主義なんですよね?

そう、俺はサンプリングはしない。基本的にハードウェアで音作りをしてるんだよ。最近は、どんな機材を使ってるか明かさないようにしてるんだ(笑)。それぞれのプロデューサーが、自分独自のサウンドを開発することが大事だと思うからね。俺がインタビューで機材などについて話すと、2週間後には他の連中がSoundcloudで同じようなサウンドのトラックをアップしてたりする。俺と同じシンセやドラム・マシンをCraigslistで見つけてくる。どの機材を使っても、デイム・ファンクを作り出せるけどね。

たまにTwitterなどで「この曲でどのキーボードのプリセットを使ったんですか?」というメッセージが送られてくるよ。本当に信じられない(笑)。俺が若い頃は、絶対にそういう質問は許されなかった。そういう質問をすることは俺のプライドが許さないし、一ミュージシャンとしてリスペクトできる言動じゃないよ。昔、俺はよくDJクイックを見かけることがあったけど、彼に「キーボードのどのプリセットを使ってるんですか?」なんて質問はしなかった。彼の音楽をリスペクトしているから、逆に自分独自のサウンドを作り上げたかった。彼と全く同じ音色を使いたいなんて思わない。そういう意味で、今の音楽シーンにはモラルがないし、有名になりたくてしょうがない連中が多いから、みんなおかしくなってるんだよ。 

「みんながジェームス・ブラウンのブレイクビーツを買い漁ってた頃から、俺はすでにシンセ・ファンクを作ってた」 ―デイム・ファンク

―― 同じレーベルのタキシード、マーク・ロンソンやファレル・ウィリアムスなどもファンクやブギーを取り入れて盛り上がってますが、それについてはどう思いますか?

ファンクが復興してることは嬉しいことだよ。ファンクをリスペクトしてるアーティストが増えてるし、それを現代の音楽に取り入れるアーティストが増えている。クリス・ブラウンやタイ・ダラー・サインみたいなアーティストの最近の曲は、ファンクのベースラインを取り入れてるんだ。だから、ファンクが再び注目されてることは本当だし、クールなことだと思う。みんなが“ファンク”という言葉をまた使うようになって、先人のファンク・アーティストの音楽を掘るようになってくれるんだったら、素晴らしいことだよ。

―― またその中でオリジネイターであるあなた自身はどういった存在でありたいと思いますか?

自分の音楽をやり続けるだけだよ。俺のサウンドは、昔からあるファンク・サウンドを真似したものじゃないんだ。もちろん、プリンス、Pファンク、スレイヴ、チェンジ、エムトゥーメイ、ルース・エンズなどのアーティストに影響されたけど、俺独自のコードやアプローチを常に使ってきた。

それは、1988年から活動し始めて、下積みも長かったからできることなんだ。他の人の真似をしていないということにプライドを持ってるし、そんなことをやったら自分がイヤになるね。曲が完成したときに、他のアーティストに似ていたら誰にも聞かせたくないよ。もちろん、どのアーティストも色々な音楽に影響されるけど、今の音楽シーンは特に誠実さを必要としている。そうじゃないと、トレンドとともにコロコロとサウンドが変わってしまう。

ニュー・ジャック・スウィングが流行ったときに、数えきれないほどのニュー・ジャック・スウィングのアーティストが登場したけど、みんなが覚えてるのはガイとテディ・ライリーだけなんだ。他のアーティストはいい曲を出したかもしれないけど、消えていったよ。俺の音楽を聴いてもらえばわかるけど、金とか名声のためにやってないことはわかると思うし、色々なトレンドに合わせるためにセルアウトしたことはないんだ。

―― Stones Throwから、あなたが80年代に制作した音源『Adolescent Funk』をリリースしましたが、それを聞くとあなたのサウンドの軸が変わってないことがわかりますね。

ピーナッツ・バター・ウルフが、俺が80年代に作った曲の中からセレクトして、あの作品をまとめたんだ。靴箱にカセットでレコーディングしておいた曲をまとめてあって、ピーナッツ・バター・ウルフが1、2曲聴いて「もっと聞かせてよ」って言うから、彼にカセットをたくさん渡した。いつかVol.2も出したいよ。俺が最近こういうサウンドに飛びついたんじゃなくて、昔からやってることがわかると思うんだ。

みんながジェームス・ブラウンのブレイクビーツを買い漁ってた頃から、俺はすでにシンセ・ファンクを作ってた。Prelude、 Salsoulをみんなが無視してた時から、俺は集めてた。当時は、俺以外にLoggやD-Trainみたいなアーティストのレコードを探してる人は殆どいなかった。他のDJはまだア・トライブ・コールド・クエストの元ネタを探してたような時代だよ。だから、俺が突然ブレイクしたって勘違いしてほしくないんだ。

―― ファンク・コレクターの中には、70年代半ば以降のファンクを無視したり、見下してる人もいましたよね。

そういう傾向はアメリカで多かったんだ。日本やスウェーデンなどの北欧の音楽シーンでは、当時からシンセ・ファンクはリスペクトされていて、見下されてなかった。ヒップホップが主流になってから、アメリカのDJはブレイクビーツにしか興味がなかったよ。DJシャドウみたいな人の後に、みんなはついて行っただけなんだ。彼が悪いわけじゃないんだけどね。

俺は誰かの後についていこうなんて思ったことがない。自分が好きな音楽のことを誇りに思ったし、例えばザップの「More Bounce to the Ounce」を車の中で爆音でプレイすることを恥ずかしいと思ったことがない。それに、そういう音楽を積極的に探したんだ。“ディガー”と名乗る人たちの問題は、本来のファンクの定義を勝手に変えてしまったことだよ。フッドでは、90年代から2000年代初頭までリリースされたファンク・コンピレーションなんて誰も聴いてなかった(笑)。そういうコンピに収録されてた曲は、70年代の7インチ系のファンクばかりだ。ロスや他の都市で、黒人が住む地区に行ったら、そういうコンピレーションなんか誰もプレイしてない。Pファンク、スレイヴみたいなファンクをみんなは現行で聴いてるんだ。

だから、俺はLAのファンク・クラブに行くといつもフラストレーションを感じてた。どのDJもジェームス・ブラウンとかそういう系統のファンクばかりプレイしていて、俺はうんざりしてたんだよ。だから、俺は仲間とFunkmosphereを立ち上げたんだ。レコードのジャケに写ってるアーティストの髪型がジェリカール(80年代の代表的な黒人の髪型)だからと言って、レコードの内容が悪いわけじゃない。でも、ファンク・コレクターがどんどんエリート主義的になって、1982年のレコードで、ジャケにセーターを着てる男が写ってたら、「これはクロすぎる」とか、「これはシンセが入ってるからダメ」とか、「これはGファンクっぽすぎる」とか、そういうことを言い出して批判するんだ。でも、こういう音楽こそが本当のファンクなんだ。

―― Funkmosphereは何年に始めたんでしたっけ?

2006年だね。

―― このクラブ・ナイトを始めた理由は?

ファンクへの愛情と、このジャンルのレアなレコードをプレイする場が欲しかったからなんだ。Pファンクだけではなく、500枚しかプレスされなかったようなレアなレコードをみんなでもともと集めていた。メンバーは俺、ビリー・グッズ、ランディ・ワトソン、ラロージで、のちにエディ・ファンクスター、マット・リスペクトも加わった。ヨーロッパでも同ジャンルのレコードを集めてたコレクターたちは、ブログなどでこういうレコードについて情報を広めていたから、2000年代初頭からすでにコミュニティはあったんだけど、俺たちはアメリカのディギング・コミュニティからはバカにされてたよ(笑)。

俺たちが集めてたのは、1975年以前のア・トライブ・コールド・クエストの元ネタっぽいファンクとか、ロイ・エアーズっぽいブレイクじゃなかったからね。俺たちがプレイしてた音楽は、他の連中にはファンキーすぎるとか、クロすぎるとか、批判されたから、Funkmosphereを立ち上げるしかなかったんだ。ロスでみんなと違うイベントをやることが、俺たちのコンセプトだった。最初は14人くらいしかお客が集まらなかったけど、100人集まるようになり、今はThe Virgilというクラブで毎回イベントをやってるんだ。これからどんどん大きくなってくると思う。お客さんの視野が広がって、知らない音楽をジャッジしないようになったのは、いい傾向だと思う。

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ニューアルバム『Invite the Light』で切り開いた新境地

―― 新作『Invite the Light』のタイトルの意味と、作品のコンセプトについて教えてください。

『Invite the Light』は、 自分の人生をポジティブに生きること、そしてクリアなものの見方を意味し、ネガティブなことに焦点を当てないことを象徴してる。人生で様々なトラウマや辛いことを経験しても、それを切り抜ける不屈の精神、忍耐、集中力をもつことで、最終的に光に向かうことができるんだ。俺が人生で体験したことがインスピレーションになったんだけど、あまり自分の体験を前に打ち出したくない。オーディエンスにこのアルバムを聴いてもらって、自分たちの体験と照らし合わせて欲しいからなんだ。

このアルバムは3年かけて制作し、最後に追加した曲が「We Continue」なんだ。ポジティブなサウンドでアルバムが始まって、途中からダークになって、最終的にポジティブな感じで終わるアルバムだよ。4曲のボーナス曲も最後に入っている。CDには尺の問題で16曲しか入っていないけど、できればみんなに全曲聴いて欲しいね。最後のボーナス曲「The Acceptance」が、俺が今まで作った中で最も強力なモダン・ファンク・チューンだから。

―― 「The Acceptance」の曲にはどんな気持ちが込められてるのでしょうか?

恋愛が終わる状況を受け入れることとか、前に進むことを受け入れることとか、とにかく今のありのままの状態と姿を受け入れる、という意味の曲なんだ。

―― アルバムの冒頭は、オハイオ・プレイヤーズのジュニー・モリソンのスポークン・ワードから始まりますが、そこにはどんなメッセージが込められてるのでしょうか?

彼がそのワードの内容を思いついたんだ。イントロをやってほしいと頼んだんだけど、彼にはアルバムのタイトルだけを教えた。タイトルのイメージから、その言葉の意味を考えてレコーディングしてもらい、声のエフェクトも全部むこうで入れてくれたんだ。もう1曲ジュニーとレコーディングした曲があるんだけど、将来的にシングルのB面とかでリリースできるように取っておいてある。彼のギターの演奏は素晴らしかったよ。

―― ジュニー・モリソンとはどうやって知り合ったんですか?

ニューオーリンズ出身のDJソウル・シスタが、俺のライブにジュニーを招待してくれたんだ。ジュニーはとてもミステリアスな男で、誰も彼がどこに住んでるか知らない(笑)。彼は俺のライブを観に来てくれたんだけど、彼がプロデュースしたレアなJSセラコン(J.S. Theracon)の1982年の12インチをプレイしたことを喜んでくれたんだ。彼はあの曲を初めてクラブで聴いてショックを受けたと言ってた。彼はあの曲をレコーディングしたとき、リリースしてそのあとはちゃんとしたサウンドシステムのあるクラブで聴いたことがなかったらしい。俺がリアルなアーティストで、どうでもいい音楽をプレイしているわけじゃないということを知って、連絡を取り合うようになったんだ。

しばらくしてから、曲を送るようになって、彼をイントロに使いたいと思いついた。最初にレコーディングしてもらったのは「The Possibilities」という曲なんだ。その中に衝撃的なギター・ソロが入っていた。マルチ楽器奏者だっていうことは知ってたけど、長年作品をリリースしてないから、今もあのレベルで演奏できるとは思ってもいなかった。彼のように天才的なミュージシャンは地球上にたくさんいるけど、目立ちたくないとか、満足しているから目立とうとしていない人たちもいるんだ。彼のような偉大なファンク・アーティストがアルバムの冒頭を飾ってくれて、本当に光栄だよ。

―― 他に参加したゲスト・ミュージシャンは?

レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーが「Floating on Air」でベースを演奏してくれた。コンピューター・ジェイも何曲かでカスタム・シンセを演奏してくれたよ。アリエル・ピンクは「Acting」でシンセを演奏してくれた。ヘニング(Henning)というオランダ出身の新人プロデューサーが「Just Ease Your Mind from All Negativity」を共同プロデュースしてくれたんだけど、この曲にはスヌープ・ドッグとジョイ・ギリアムも参加してるんだ。ヘニングはこの曲のドラム、シンセ、キーボードを担当して、俺がソロを演奏した。このアルバムでは、自分の世界に閉じこもらないで、他のミュージシャンも迎え入れて、どんな作品になるか試してみたかった。でもこのアルバムの音の98%の楽器、プロダクション、レコーディングは俺がひとりでやったよ。 

―― フリーとはどうやって知り合ったんですか? 昔からレッド・ホット・チリ・ペッパーズを聴いてたんですか?

もちろん、レッド・ホット・チリ・ペッパーズはロサンゼルスではアイコン的な存在だし、彼らがファンク愛好者だっていうことは知っていた。マーズ・ヴォルタのドラマーのジョン・セオドアは、俺がやってるもうひとつのバンドで数年前にドラムを叩いてくれた。ジョンが、フリーに俺の音楽のことを教えたみたいなんだ。

そのあとにフリーに会って、たまたま同時期に日本に行くことがわかった。Stones Throwのドキュメンタリー映画『My Vinyl Weighs a Ton』の上映会を日本でやったときにフリーが来てくれて、「ジャム・セッションをしたかったら、いつでも声をかけてくれよ」と言ってくれたんだ。それで、俺とスヌープの『7 Days of Funk』のリリース・パーティーをLAでやったときに、彼が来てくれてかっこいいベース・ソロを披露してくれた。そのあともずっと連絡を取り続けてたんだけど、新作の「Floating on Air」を作ったときに、彼に声をかけたんだ。彼は本当にクールなやつだし、すごく禅な人でありながら、ロックなエッジのあるファンク・ミュージシャンだよ。

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「『Invite the Light』は、俺が完全にクリエイティブ・コントロールを駆使した体制で作った作品」 ―デイム・ファンク

―― このアルバムに6年もかかったというのは本当ですか? あなたは素早く曲を作れると思いますが、なぜここまで時間がかかったのでしょうか?

このアルバムは2012年に作り始めた。『Toeachizown』が2009年にリリースされたから、そこからの年数が6年なんだ。その間に、『InnaFocusedDaze』EPをリリースしたり、『7 Days of Funk』もリリースしたりした。「I Don’t Wanna Be a Star!」のシングルが『Invite the Light』の一部になるはずだったけど、ピーナッツ・バター・ウルフとこのアルバムの方向性を話し合ってるときに、彼は新たなアプローチを欲しがってたんだ。彼と話し合ってる間に、またツアーに出て、アルバム制作が遅れて、そのほかにも色々なリミックスを手がけたんだ。でも時間がかかったことで、アルバムの方向性をもっとクリアにすることができた。

ピーナッツ・バター・ウルフはこのアルバムのエグゼクティブ・プロデューサーだけど、彼は本当にその役割を果たしてくれたよ。彼の意見に反対のこともあったし、賛同するところもあった。彼の意見を俺のアイデアと融合させたけど、最終的に「君に完全に任せるよ」と言ってくれて、そこから俺は完全なクリエイティブ・コントロールを得て、この作品に集中できた。俺が尊敬するプリンスみたいなアーティストも、クリエイティブ・コントロールを完全に駆使して作品を作っていた。『Invite the Light』は、俺が完全にクリエイティブ・コントロールを駆使した体制で作った作品だから、そこを聴いて欲しいね。ピーナッツ・バター・ウルフがその自由を与えてくれて感謝してるよ。

―― ピーナッツ・バター・ウルフからどんな意見があったんですか?

彼は曲順とか、どの曲をどこに入れるべきかというアイデアを出したんだ。実は、クラプトをフィーチャーした曲を作ったんだけど、その曲があまりにもネガティブな内容で、アルバムに入れることができなかった。クラプトは俺の大好きなMCのひとりだから、その決断は苦しかった。いつかリリースするかもしれないけど、俺が『Toeachizown』と『Invite the Light』の間に経験したダークな期間を表した曲だった。でもちょっとダークすぎたから、このアルバムにフィットしなかったんだ。ピーナッツ・バター・ウルフがあの曲をアルバムに入れたがったんだけど、俺はどうしてもアルバムのコンセプトに合わないと思った。

―― 新作にデトロイト・テクノとかハウスっぽい雰囲気の曲があったのが新鮮でした。

昔からそういうアップテンポな曲とか、ラリー・ハードっぽい曲を作ってたんだけど、リリースする機会がなかった。だから、このアルバムに「O.B.E.」とか「Floating on Air」、「Surveillance Escape」みたいな曲を入れられてよかった。そういう曲は俺のアフロ・フューチャリズムの側面を表現していて、ミッドテンポの曲に加えて、入れることができて良かったよ。

―― 「We Continue」がファースト・シングルですが、どうやって生まれた曲ですか?

人生でどんな逆境に立たされても、俺たちは前に進むというメッセージの曲なんだ。そういうポジティブなメッセージからアルバムをスタートしたかった。でも、ビートがハードだから、Gな人も、洗練された人も聴ける曲なんだよ。でもすごくポジティブなメッセージが込められてるんだ。ビデオはわざとダークにしたかったんだ。人生の暗闇の中にいても、目的を失わずに、強く生きられることを見せたかった。

―― Qティップが「I’m Just Tryna Survive (In the Big City)」に参加してましたが、昔からア・トライブ・コールド・クエストのファンだったのですか?

もちろん、彼らはフェイバリットのヒップホップ・グループのひとつだよ。特に彼らのファーストは俺の人生を変えた。彼のプロダクションも大好きだし、声のフロウとかトーンも好きだ。世界中のイベントで彼と顔を合わせたけど、あるとき電話番号を交換したんだ。アルバムを作ってるときに、このトラックの最初のバージョンを送ったら、次の日に完成させて返送してくれたから驚いたよ(笑)。彼が参加してくれたのは光栄だし、彼のフロウは本当にヤバイよ。このアルバムのコンセプトにもっと合うように、この曲の別バージョンを作った。俺は新しいバージョンのほうが好きなんだけど、オリジナル・バージョンの方が好きな人もいるみたいだから、ボーナス・トラックとして入れたんだ。

―― あなたは昔、ザ・シルヴァースのリオン・シルヴァース3世のもとで下積みをしていたことがあると聞いたんですが、今回リオン・シルヴァースと彼の息子がアルバムに参加してます。

彼とまた仕事できて嬉しかったよ。彼は俺に、ミュージシャンとして最初の仕事を与えてくれた人なんだ。90年代初期に、俺はキーボード奏者として彼のところでセッション・ミュージシャンをやっていた。それを辞めてからも、彼によく連絡をしてアドバイスをもらったり、スタジオの技術的な面について教えてもらったりしてた。このアルバムを作ってるときに、俺に影響を与えたミュージシャンに声をかけたかったから、彼に声をかけたんだよ。リオンの息子のリオン・シルヴァース4世も才能豊かなミュージシャンだよ。リオン・シルヴァース4世とは別のデモも制作中なんだ。リオンがディック・グラフィーとやっていたSOLARは大好きなレーベルだし、アメリカ史上最も素晴らしいレーベルのひとつだよ。SOLARはシュグ・ナイトとデス・ロウを見出したレーベルだったんだけど、実はSOLARとデス・ロウは同じ建物でレコーディングしたんだ。リオンが当時の話をするときは本当に面白いよ。

デイム・ファンクが語る、スヌープ・ドッグとの仕事の魅力

―― 『7 Days of Funk』でスヌープとコラボレーションをして、彼が今作の「Just Ease Your Mind from All Negativity』に参加してますが、彼とまた仕事してどうでしたか?

スヌープは素晴らしい人間だし、仕事熱心だし、本当に気の合う仲間なんだ。年齢も近いし、育ったエリアも実は近い。感覚がすごく似てるんだけど、昔から友人でもおかしくなかったよ。彼とは話さなくても意思の疎通がとれているし、音楽的な趣味が似ているんだ。彼も俺も、スタイリスティックス、ブルー・マジック、Pファンク、ザップが大好きなんだ。LAでは、みんなヒップホップばっかり聴いてるわけじゃなくて、こういうファンクが定番だ。

―― 暗黙の了解があるようですね。まるで親戚のように見えます。

そうだよね、驚きだよ。彼は億万長者なんだけど、全くそういうそぶりを見せない。俺みたいなミュージシャンとコラボレーションをしなきゃいけない理由もないけど、わざわざ俺の家にきて、レコーディングしてくれたから、すごいアーティストだよ。スヌープは今でも、LAのリーダーだよ。みんなが何と言おうと、彼はLAのラップ界のトップにいるし、ストリートに支持されている。スヌープと仕事できる立場にいるだけで、俺はラッキーだと思ってる。

LAでは、振る舞いが良くないと、最終的に声がかからなくなるんだ。貪欲になりすぎたり、みんなの気分を害する行動をとると、仕事の電話はかかってこなくなるんだ。リアルなアーティストやプロフェッショナルの前でどう振る舞うかで決まるんだよ。そういう意味でも、スヌープと友達になれて、音楽でもコラボレーションができてるから光栄だよ。

―― スヌープと仕事をしてから、あなたの注目度が上がったとは思いますか?

わからないけど、俺の周りにいる人やリスナーは、俺たちのコラボレーションを喜んでくれたと思う。本当はGeffen Recordsもあのアルバムの契約を結びたがったんだけど、あえてStones Throwからインディでリリースすることにした。スヌープに、「これからはお前の時代だから、好きにやれよ」って言われたのを覚えてる。俺の仕事量はそんなに変わってないから、俺を怖がってる人がまだ多いのかもしれない(笑)。

―― あなたはこれだけ有名なアーティストになりましたが、あなたの「I Don’t Wanna Be a Star!」のメッセージは大切ですか?

そうだね。俺は邪魔されずに店に行きたいし、タブロイドに人生を邪魔にされたくない。自分の私生活を一般公開したくないし、音楽に集中したい。だから、俺はトッド・ラングレン、ゲイリー・ウィルソンとかフランク・ザッパみたいに、世間のスポットライトを求めてないアーティストたちを尊敬している。今の時代でスターになるっていうことは、マリリン・モンローとかプリンスの時代とは違う。今の時代でスターになると、メディアのターゲットになるだけだ。そういう意味でスターになることは今はクールじゃない。

―― 「Virtuous Progression」にはジミ・ジェームス、キッド・シスター、ジェーン・ジュピター、ナイト・ジュエル、ノヴィーナ・カーメル、ジョディ・ワトリーという豪華な顔ぶれが参加してますが、どうやって生まれた曲ですか?

ジミ・ジェームスは、俺が以前やっていたマスター・ブラスターというバンドのゲスト・ボーカリストとして参加することがあった。ナイト・ジュエルは昔から友達で、Myspace時代に知り合った。この曲は、男性ホルモンだらけのアルバムにしたくなかったから女性アーティストにアルバムのエンディングを飾ってもらったんだ。ジョイ・ギリアムはこのアルバムで2曲に参加してるけど、彼女はもともとダンジョン・ファミリーのシンガーだ。ジョディ・ワトリーはネット上で知り合って、彼女に音源を聞かせたら気に入ってくれたんだ。

―― あなたは日本に何度も行ってますが、日本のシーンについてはどう思いますか?

日本は大好きだよ。日本のファンはすごく音楽を大切にしているから、アメリカのオーディエンスとは違うんだ。アメリカのリスナーは好き嫌いが激しいし、全てに飽きてるんだよ。日本のリスナーもサイクルが速いって聞くけど、何かを好きになると、すごく探求すると思うんだ。日本人は、心から音楽を愛しているし、リスペクトしてると思う。だから日本に行くと楽しいよ。

―― 次は11月にバンドでまた来日するみたいですが、どんなライブになりそうですか?

俺のバンドのミュージック・ディレクターがE-Dayなんだけど、彼とは3年前から一緒に演奏してるよ。15年前から友達だけどね。彼はベース、キーボード、バックボーカルを担当してるんだ。レジー・レッジというドラマーが今回参加するんだけど、彼はドラム以外にバックボーカル、サンプルのトリガーも担当している。3人編成のバンドなんだけど、すごくいいバンドだよ。今もライブをやってるから、日本に行く頃にはかなりタイトな演奏になってるはずだ。新曲とか前の曲もミックスして演奏するよ。

―― あなたにとってファンクとは?

微笑みを浮かべながら涙を流すこと。その言葉に尽きるね。

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Words by Hashim Bharoocha Photos by Mathew Scott

RELEASE INFORMATION

Dam-Funk 『Invite The Light』

Invite the Light

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