Large Professorインタビュー/ラージ・プロフェッサーが『Re:Living』を語る

July 01,2015 | Category :  Interview | Tag :  Large Professor,

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Beat in the Tradition

Large Professor ラージ・プロフェッサー/ヒップホップの伝統と美学

ハーレムで生まれ、クイーンズで育ったラージ・プロフェッサーは、90年代のヒップホップを語る上で欠かせないプロデューサー/ラッパーである。彼が率いるグループ、メイン・ソースの『Breaking Atoms』(1991年)は、ヒップホップ・アルバムの金字塔として語り継がれており、同作に収録されている「Live at the Barbeque」でナズはデビューを果たした。またラージ・プロフェッサーは、ナズの名盤『Illmatic』の楽曲も手がけ、卓越したサンプリング技術でヒップホップの歴史に残るビートを生み出した。他にも数え切れないほどのラッパーにトラックを提供してきた彼だが、1996年にリリースするはずだった自身初のソロ・アルバム『The LP』は、「Mad Scientist」や「I Juswanna Chill」といった名曲が収録されていたにも関わらず、Geffen Recordsの都合によってお蔵入りとなり、2009年にようやく正式リリースされた。

ヒップホップ業界の紆余曲折を見てきた彼が、今回、5作目となるソロ・アルバム『Re:Living』をリリース。彼の作品の中で最もパーソナルな内容となった本作について、そして自身のキャリアについて話を訊いた。

―― 幼少期を過ごしたクイーンズで、どうやってヒップホップと出会ったのですか?

 当時のヒップホップには生々しいエネルギーがあった。あらゆる場所でラジカセから爆音で音楽が流れていて、みんなミスター・マジックとかのカセットテープを交換し合っていた。ランDMCが流行っていて、当時のファッションもクールで、とにかくヒップホップはストリートから生まれたカルチャーだったんだ。あの生々しいエネルギーに、私も魅了された。今はヒップホップで大金を稼げることを知ってる連中がたくさんいるから、どうしても企業的になってしまう。昔はパーク・ジャムで、ファミリー的な気持ちで音楽を聴いていた。街灯から電気をひっぱってきたりして、あまり資源がない中から、どうにか工夫してエンターテイメントを作り上げたんだ。

―― 当時はどういうヒップホップ・アーティストに影響されましたか?

 クラッシュ・クルー、グランドマスター・フラッシュ、コールド・クラッシュ・ブラザーズ、クール・モー・ディー、トレチャラス・スリーみたいなパイオニアは大好きだったよ。彼らがいなければ今のヒップホップはないね。

―― あなたはラッパーであり、プロデューサーやDJでもありますが、どれを最初に始めたのですか?

 DJだね。仲間のひとりがターンテーブルを持っていて、レコードは物心がついたときから大好きだった。小さい頃は、フィッシャープライス(註:幼児向けの玩具メーカー)のプレイヤーでレコードを聴いていた。グランドマスター・フラッシュが2枚使いしたレコードを、両親のレコード・コレクションの中から見つけたりして、いろいろな発見があったんだ。そこから、ブレイクビーツを探したり、ターンテーブルでループさせる方法を学んだ。自分でライムを書き始めたのは、スリック・リックとダグEフレッシュの「The Show」を聴いてからだね。

―― プロダクションはどうやって始めたのですか?

 DJの延長線上でビートを作るようになったんだ。ブレイクビーツをターンテーブルで2枚使いせず、どうやってループさせられるかを考えるようになって、サンプラーを使うようになった。最初はカセット・デッキでループを作っていたけど、その後サンプラーのCasio SK-1を入手してループを組むようになった。それからSP1200を使うようになったり、MPCを使うようになったんだ。

Large Professor ラージ・プロフェッサー、メイン・ソースを語る

―― メイン・ソースは今もリスペクトされているグループですが、どういう経緯で結成されたのですか?

 Kカットとサー・スクラッチとは同じ高校に通っていたんだ。彼らは兄弟で、クイーンズのコロナに住んでいたけど、もともとはカナダ出身だ。当時、ターンテーブルを持ってる人が増え始めていて、サンプリングがヒップホップの主流になり始めていた。だが、まだサンプラーは誰にでも入手できるものではなかった。当時はラジオを聴きまくっていたから、ラジオでかかったレコードを探すようになった。レコードをサンプリングしてビートを作っていることを知って、両親のレコード・コレクションを漁ってネタを探すようになった。最初はテープ・デッキだけでビートを作っていたよ。放課後にKカットやサー・スクラッチたちと集まって実験しながら曲を作っていたんだ。そうやって腕を磨いていき、スタジオに入ってレコーディングするようになった。

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―― メイン・ソースの『Breaking Atoms』は史上最高のヒップホップ・アルバムのひとつだと言われています。

 『Breaking Atoms』を作ってるときは、ちょうどテクノロジーが変化したタイミングだった。私自身、レコードに対する知識も十分にあったし、Power Play Studiosというヒップホップのヒット曲をたくさん生み出していたスタジオでレコーディングするチャンスも得ることができた。そこの卓やマイクを使わせてもらえたから、インスピレーションになったよ。エリックB&ラキムとも仕事して、その経験もメイン・ソースのアルバムに活かすことができたんだ。

―― あなたはメイン・ソースの「Live at the Barbecue」でナズの存在を初めて世に知らしめたわけですが、当時の彼はどうでしたか?

 当時、私たちはまだ駆け出しのラップ・キッズだった。エリックB&ラキムがPower Play Studiosを使っているときに、ラキムがいないときとか、合間の時間を使って自分たちのデモをレコーディングしたんだ。メイン・ソースのレコーディングをしているとき、そこにナズを呼んで、一緒に曲作りをした。それが「Live at the Barbecue」で、彼がリリックを乗せたことで歴史的な曲になったね。

ナズの才能を早くから認めていたラージ・プロフェッサー

―― ナズと初めてレコーディングしたときから、彼がスターになると予想していましたか?

 間違いなくそうなると思ったよ。彼は才能に満ち溢れているのに、とても謙虚だった。彼のライムを聴くと、クールでソウルフルな奴であることが伝わってきた。独特な言葉の組み合わせ方をしたり、思いがけないような言葉を使ったりすることを当時から意識していた。誰も思いつかないようなライミングを当時からやっていたんだ。彼はクイーンズブリッジの歴史を継承しているラッパーでもあり、当時から注目されていた。

Large-Professor&Nas

―― 『Illmatic』の収録10曲のうち3曲はあなたのプロデュースですが、あのアルバムを振り返ってどう思いますか? ここまで歴史的な傑作として評価されると思いましたか?

 そうだね。あのアルバムはリリックが優れてるし、プロダクションは完全にニューヨークのサウンドだった。子供の頃に公園で聴いていたような、もしくはカセットテープで聴いていたような、いい意味でローファイな空気が、あのアルバムには入っている。あのアルバムで、ナズの卓越したリリックが全面的にフィーチャーされていたし、世界的に絶賛されるのも当然だよ。もし私たちが同じビートを他のラッパーに提供したとしても、これほどまでに称賛されることはなかったと思う。彼のリリックやストーリー性に匹敵するものを作れる人はいなかっただろうし、ナズは他のラッパーとは一線を画すアーティストだね。

―― 「It Ain’t Hard to Tell」のあなたのリミックスは、私が最も好きなヒップホップ・リミックスですが、あれはどうやって生まれたのですか?

 そう言ってもらえて嬉しいよ。ビズ・マーキーの“Nas is the king of disco”というフレーズをサンプリングしつつ、いろいろな要素を上手く組み合わせて完成させた曲なんだ。あのトラックはすごくミニマルで、今聴くと当時の記憶が甦るね。あのリミックスを作ってたとき、最初は違うループを使おうと考えたけど、上手くいかなかった。試行錯誤しながら最初から作り直して、ファンキーな曲調にしようと決めたときに、全ての要素がカチッとハマったんだ。

―― あなたのファースト・ソロ・アルバム『The LP』に収録された「I Juswanna Chill」も素晴らしい曲ですが、この曲を作った経緯を教えてください。

 「I Juswanna Chill」は、魂の叫びだった。あの頃は、音楽業界の裏側や、契約書、ラジオ、ビジネスの現実などがわかるようになっていた。ヒップホップはスキルが第一だと信じていたのに、ヒップホップはビジネスであり、ときに賄賂が介在することも知ったんだ。ストリート出身の人間は、欲しいものを手に入れるために戦うことには慣れているけど、音楽業界では様子が違った。私たちはストリート出身だが、ビジネスも上手くやらないといけなくて、ああいうリリックを書いたんだ。デ・ラ・ソウルが『Stakes Is High』収録の「Dinninit」でたまたま同じサンプルを使っていた。プロダクションは同じではないけど、ヒップホップではたまにそういうことが起こるんだ。

ラージ・プロフェッサーの新作『Re:Living』について

―― 3年ぶりの新作『Re:Living』について教えてください。

 2014年を丸々かけてレコーディングした作品だ。大半の楽曲は、私の故郷クイーンズでレコーディングしたから、作りながらいろいろな思い出が甦った。この作品では、音楽業界についてラップすることが多かったけど、クイーンズでレコーディングすることによって、よりパーソナルな内容になった。父、母、姉とか、自分の家族についても触れたりしたね。

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―― プロダクション面では、メイン・ソース時代に戻ることを意識したそうですが、その理由は?

 メイン・ソースのサウンドを再現したかったわけではなく、当時に似たコンセプトを使いたかった。メイン・ソースの頃は「Just a Friendly Game of Baseball」のように、それぞれの楽曲に一貫したテーマがあったけど、そのアプローチを今回取り入れたんだ。新作の「New Train Ole Route」にしてもそうだけど、曲をレコーディングする前からしっかりコンセプトを練っておいた。

―― 具体的にどういうコンセプトを楽曲で表現したのでしょうか?

 例えば「Dreams Don’t Die」では、家族についてラップしている。「New Train Ole Route」では、ヒップホップのニュースクールとオールドスクールについてラップしてるんだ。若い世代のラッパーに「お前らは新しい電車かもしれないが、古い線路の上を走っていることを忘れるな」と教えているよ(笑)。

―― 自伝的な「Dreams Don’t Die」を作った経緯を教えてください。

 あの曲はクイーンズで育った時代を振り返った曲だ。今の私を作り上げたさまざまな思い出を綴っている。最後のヴァースは、ノトーリアスBIGに捧げた。実は今日は彼の誕生日なんだ(註:このインタビューは5月21日に行った)。この曲の中では、彼の“It was all a dream”というフレーズを使っている。ビギーとは知り合いでもあったから、彼に捧げたかった。夢は思いがけないことで実現したりするし、それについてラップしたかった。誰かが亡くなっても、その人が生きていたときに描いていた夢は死なない。とてもパーソナルな曲だね。

―― 「In the Scrolls」ではプロデューサーとしてのあなたの歴史が綴られています。

 あれはナズに捧げた曲なんだ。ビートを作って、ナズにラップしてもらいたかったけど、いろいろなことがあって実現しなかった。だからナズについてのヴァースを書いて、クイーンズブリッジに行ってGウィズに参加してもらった。仕上がりにはとても満足しているよ。『Illmatic』のストーリーから派生した曲なんだ。

―― 収録曲の「Industry Rmx 2」では、インスペクター・デック、コーメガ、ロック・マルシアーノ、ロード・ジャマーをフィーチャーしていますね。

 それはコーメガとのジョイントで作った『Mega Philosophy』(2014年)の収録曲のリミックスだ。彼はその曲のリミックスをいくつかリリースしていて、私も2回リミックスしたんだ。ゲストはコーメガが集めてくれた。私はよく音楽業界についてラップするけど、「Industry」もそういう内容だよ。

―― あなたはSP1200のマスターとしても知られていますが、この新作はどういう機材で作ったのですか?

 今でもSP1200を使うし、MPC1000も使っている。モジュールも使っているし、普通のヒップホップの機材も使ってるよ。AbletonやPro Toolsを使ったり、プラグインを使ってミックスしている。でも基本は、ビートとライムで楽曲を構成しているんだ。

ラージ・プロフェッサーが考えるサンプリング論

―― 今でもサンプリングするためのレコードは掘っていますか?

 もちろんだ。私は常にレコードを探している。この前もピッツバーグでレコードを掘ったし、そのプロセスは変わらないよ。最近はジャズやサイケデリック・ロックをまた掘るようになった。今のニューヨークには、ジャズが欠けている。特にラジオではあまりジャズが流れなくなってしまった。最近はジャズが気になるから、ジャズを掘り漁っているんだ。

―― 最近のヒップホップではほとんどサンプリング手法が用いられていませんが、それについてはどう思いますか?

 そうかな? 最近のヒップホップでもサンプリングは使われていると思う。ただ、私たちがやってきたような、伝統的なサンプリング手法ではなくなっている。ヒップホップはいろいろと変化を遂げたけど、昔ながらのヒップホップ・サウンドを求めている人はたくさんいるんだ。レコードをサンプリングしてフリップする手法にはある種のマジックが宿っているわけで、ヒップホップを進化させたり、変化させたり、新しい要素を取り入れないといけないと考えている人もいるけど、いいものを無理に変える必要はない。ヒップホップには伝統があるんだ。ヒップホップは昔、ニューヨークの公園で、ターンテーブル、レコード、マイクによって生まれた。レコードのブレイクビートを、2枚使いしてループさせたことが原点だ。私はヒップホップをそこから遠ざける必要はないと思うし、変える必要もないと思っている。ヒップホップの伝統を守りたいし、持続させたいと思っているよ。黒人のアーティストには、あまり伝統と呼べるものがないんだ。ニューヨークには、ジャズのラジオ局も存在しない。変化を求めた結果がこれだ。だから私は、ヒップホップの伝統を守りたいんだ。

―― 新しいヒップホップはチェックしていますか?

 もちろんだ。DJでもあるから、必ず新しいアーティストもチェックしている。伝統的なヒップホップが一番好きだけどね。ジョーイ・バッドアスも好きだし、タイムレス・トゥルース、アクション・ブロンソン、ロック・マルシアーノのように、ヒップホップの伝統を大切にしている連中は特に好きだ。

―― そのロック・マルシアーノやアクション・ブロンソンなどは、90年代のヒップホップを復活させようとしている若い世代のラッパーですね。

 リリシズムをしっかり意識しつつ、ストリートの要素があり、さらにボキャブラリーが豊富なラッパーが登場してるのは嬉しいことだけど、忘れてはいけないのは、彼らは昔からあったヒップホップの土台を継承しているという事実だ。彼らは、レッドマン、コーメガ、ナズの延長線上にいる。同じ要素を大事にしているから、彼らはファミリーだね。いろいろなタイプのアーティストがいるんだ。新しいものを追いかける人もいれば、歴史に興味がある人もいて、後者はルーツを掘り下げて、それを新しい方法で表現している。

―― 最後に、日本のファンにメッセージを。

 長年サポートしてくれてありがとう。日本のファンは大好きだし、日本も大好きだ。日本をツアーしたとき、水戸にすごくいいレコード店があったのを憶えているし、もちろん東京にもいいレコード店がたくさんあった。あのときはレコードを買いすぎて大変だったね(笑)。

Words by Hashim Bharoocha Photos by Sun Bronx

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