Dimitri from Paris Interview

November 27,2013 | Category :  News | Tag :  

ソウル/ディスコ~ハウス・ミュージック黎明期より現在に至るまで、30年以上に渡り世界中のダンス&クラブ・キャピタルでレジデント/レギュ
ラーDJを務め、シーンを牽引するDimitri from Paris。オリジナリティに溢れ、革新的であるDJスタイルは、Yves Saint
Laurent / Chanel / Jean Paul Gaultier
などオートクチュールのブランドからも支持され、ファッション・ショーのDJとして、その音楽制作と楽曲提供を行うまでに至っている。今回は
Dimitri from
Parisに、12月に控える来日イベントの前に独占インタビューを敢行。過去から現在に至る世界を股にかけるスーパースターDJの発言をお届けする。
 
ローラン・ガルニエは
界三大テクノDJ、1990年代初頭にパリのクラブでイベント「Wake Up」を開始し、後にF
Communicationsを設立しました。当時は彼がパイオニアでパリのクラブシーンが産声をあげたと思います。その中で同時期にあなたもパリのダン
スミュージック・シーンにいち早く登場しました。

 1985年から自分のラジオ番組をやり始めたんだ。クラブでDJを始めたのは、1994年からなんだよ。あとはメジャーレーベルのためにリミックスを制
作して、ラジオではミックス・ショーをやってたんだ。1984年、1985年のダンス・ミュージックはディスコからエレクトロニック・ファンクに移行し始
めた時代で、サウンドがエレクトロニックになり始めていた。今ほどダンス・ミュージックのジャンルが固まっていなくて、色々な要素が入っていた。ダウンテ
ンポ、アップテンポ、ヒップホップ、ポップ・ソングのリミックスなど、ダンサブルな音楽であれば、何でもありだった。

“NEW YORK CITY RAP”というイベントでグランドミキサーDSTやアフリカ・バンバータといったアーティストがプレイしているのを観て、DJに興味を持ったのが最初だとお聞きしました。その時点から将来は音楽に関係する仕事に就こうと考えていたのですか?

 当時はまだ80年代初期だったし、これから何をして生きていくか分からなかったけど、音楽を仕事にするとは思ってなかった。この“NEW YORK
CITY
RAP”というイベントには、グランドミキサーDST、アフリカ・バンバータなどが出演して、フューチュラ2000が壁画を描いていて、ニューヨーク・シ
ティ・ブレイカーズがブレイクダンスを披露していた。ヒップホップ・カルチャーをパッケージ化して、ヨーロッパをツアーさせていたんだ。俺にとって衝撃
だったよ。俺たちは、そんなDJスタイルを見たことがなかった。当時は、家でレコードを聴くにはターンテーブルがないといけなかったから、どの家庭にも
ターンテーブルやレコードはあったんだ。でも彼らは誰でも持っているターンテーブルとレコードを使って、全く新しい表現をやっていたから、衝撃的だったし
インスピレーションを受けた。インターネットも存在しない時代だし、情報がなかったから、とにかくどうやってそのプレイができるのかを自分で探求しないと
いけなかった。
 親のターンテーブルを改造してピッチシフトの機能をつけたり、パーツを買って自分でミキサーを作ったんだ(笑)。ひどい音だった
けど、2つのターンテーブルをミックスすることができた。とにかく、情熱だけはあったんだ。もう一人スクラッチに興味があるDJに出会ったんだけど、彼は
ディー・ナスティーと言って、フランス初のDMCチャンピオンになった人だ。レコード店で出会ったんだけど、俺と同じようなレコードを買っていて、そこか
ら友情が始まったんだ。彼は毎日4時間もスクラッチを練習していて、俺よりも何倍もスクラッチが上手かったから、スクラッチを探求することは諦めたんだ。
俺はその頃から、ロングミックスの方にもっと興味があり、ブロンディの“Rapture”が出たときに、色々なDJの名前が曲の中に登場したんだけど、あ
の曲はヒップホップというよりディスコ色が強くて、そこからディスコにはまったんだ。

 俺の友人がニューヨークのWBLS、W-KISS
FMなどのラジオ番組のカセットを入手していた。トニー・ハンフリーズやシェップ・ペティボーンなどのDJのミックスショーを録音したものだったんだ。そ
ういうカセットを聴いて研究し始めた。そこから、俺もDJミックスのデモテープを作って、色々なラジオ番組に売り込んでみたんだ。初めて決まった仕事が、
小さい海賊ラジオ放送のDJだった。そこから、どんどん大きいラジオ番組に雇われるようになって、最終的にフランス最大のラジオ局でDJするようになった
んだ。当時は、俺みたいなDJスタイルの人がいなかった。レコードをミックスしたり、カセットでエディットも作っていたよ。今の時代に比較すると、ベー
シックなスクラッチやミックスだったけど、当時は他の連中より数年先を進んでいたんだ。そこからラジオでプレイするようになって、自分で作ったエディット
をラジオで放送し、あるプロデューサーから声がかかったんだ。そのプロデューサーから一緒にスタジオに入ろうと誘われて、彼が手がけていたポップ・ソング
のロング・バージョンを作ってと頼まれたんだ。

この時期、パリにディスコ、ヒップホップ、ハウス、アシッドジャズなどNYやロンドンから沢山のレコード/12インチが入ってきたと思います。
あなたにとってそれはとても衝撃なことだったのでしょうか? 

 1982年から、ロンドンに遊びに行ってたよ。パリに、いくつかのレコード店があって、そこにロンドンの音楽雑誌が入荷されていたんだ。Record
Mirrorという雑誌があったんだけど、クラブチャートが掲載されていて、コラムではレコードの内容について説明されていた。それに基づいてレコードを
買ってたんだ。週末だけロンドンにレコードを買いに行くようになった。ニューヨークに行くことは夢だったけど、当時はフライトが高かったんだ。だから数年
に1回しかニューヨークには行けなかった。初めてニューヨークに行ったときは、New Music
Seminarが開催されていれたから衝撃的だったよ。ダンスミュージックに関連したものが全てニューヨークに集結して、バッジを入手すると、色々なイベ
ントに遊びにいくことができた。色々なDJのプレイを見て、最新のレコードを聴くことができて刺激的だった。Areaというクラブに行ったんだけど、サウ
ンドシステムも最高で、衝撃的だったんだ。今そのクラブについての本が出版されるんだ。シカゴのDJたちがそこでプレイしたんだけど、エレクトロニックな
サウンドとディスコ・ビートが融合したサウンドで、女性ボーカルがのせられていたんだけど、今まで聴いたことがない音楽だった。俺はフランスからきたDJ
だと伝えると、みんながプロモ盤を渡してくれたから嬉しかった(笑)。まだ無名のDJだったけど、フランスからきたということで、渡してくれたんだ。
 
フランスに戻ってそのレコードをプレイすると、誰も聴いたことがない最新のサウンドだったから反響がすごかった。俺が働いていたラジオ局はトップ40中心
で、ボスが商業的なレコードしか好きじゃなかったんだけど、
ボム・ザ・ベースの登場をきっかけに、「ハウスの番組をやろう」と言ってくれたんだ。俺がニューヨークから持ち帰ったハウスのレコードをプレイリストにし
て、日中に5回プレイすることになったんだ。そこから、俺も注目されて、リミキサーとしての仕事も舞い込んだんだ。87年の話だよ。

高校卒業後は大学で日本語を勉強するきっかけはなんだったのでしょうか?

 日本のポップ・カルチャーが好きだったんだ。パリに日本の本屋さんがあって、そこによく遊びに行ってたんだ。そこの本や漫画の表紙を眺めたりするのが好
きで、日本のポップ・カルチャーが視覚的に素晴らしかったから魅了されたんだ。高校を卒業してから、将来何をするか分からなかったから、とりあえず日本語
を勉強しようと思ったんだ。何となく世界を旅したいという気持ちはあったから、日本語を勉強すればもしかしたら旅行業界で働けるかな、と思った。1981
年か1982年から数年勉強したんだけど、あまりにも勉強が大変で諦めたんだ(笑)。俺が受けた授業は読み書き中心で、最初の1年は500個の漢字、2年
目は1000個の漢字を覚えないといけなくて、ついていけなかった(笑)。だから、その勉強はやめて、日中は仕事をして、そのほかの時間はリミックスやエ
ディットをやって、途中からラジオの仕事をやるようになったんだ。そこから、音楽だけで生計を立てるようになった。

YELLOW PRODUCTIONSでリリースした「Sacre Francais」が全世界で大ヒットしました。当時のパリでの反応や世界中に広がっていた様子を教えて頂けますでしょうか? クラブミュージック史上最もセールスをあげている作品だと思います。

 確か400,000枚以上売れたんだけど、今でも売れ続けてるらしいから、もう正確なセールスは分からないよ。97年にCDがリ
リースされたんだけど、EPは96年だった。反響はすごくよかったよ。あのリリースでは、いかにもフランスっぽいイメージをアートワークに使い、ジョーク
としてやってたんだけど、それを真剣に受け止める人が多かった。フランスの帽子とか、エッフェル塔をアルバムの表紙にのせて、フランスのイメージを誇張し
て使ったんだけど、みんなはそれを真剣に受け止めたんだ。でもそれは俺にとって得になったんだよ。日本人もアメリカ人もそのイメージを気に入ってくれて、
アメリカではあの作品はアトランティック・レコーズからリリースされた。

2000年代前半にはパリの音楽産業も変わってきたかと思います。実際DJやアーティストも国内より、海外にどんどん進出していったかと思います。
フランスの音楽シーンはどのように変化したと思いますか?

 メディアは97年から98年の頃に出てきたフランスの第一世代のダンス・ミュージックのアーティストを、“フレンチ・タッチ”
と呼んでいたんだけど、それ以前はフランスから国外に輸出される音楽は存在しなかった。くだらないポップスのアーティストが日本やロシアに行くことはあっ
たけど、ダンス・ミュージック的に言えば何もなかった。少なくとも俺が共感できる音楽が殆どなかった。イエローは初期から活動していたレーベルだったし、
ラ・ファンク・モブも活動していたし、DJカムも活動していた。ダフト・パンクも同時期に登場したけど、そこからイギリスのメディアが着目したんだ。その
あとにダフト・パンクのファースト・アルバムがリリースされて、大きな波になったんだ。信じられないくらい大事になったね。そこからフランスのエレクト
ロ、ハウス、テクノなどのダンス・ミュージックのプロデューサーは、1年間くらいフランス国内よりも国外の方が有名になったんだ。イギリスのメディアのお
かげで、フランスのアーティストが有名になって、しょっちゅうイギリスでプレイするようになったんだ。今はフランスから2、3年おきに新しいアーティスト
が登場しているよ。俺は、フランスのダンス・ミュージックはトレンドで終わって、みんなに飽きられてまたいつか普通の仕事に戻らないといけないと思ってい
たけど、実際は数多くのアーティストが生き残ってるんだ。今でもフランスのダンス・ミュージック・シーンは活気があるよ。俺自身も、10年以上も活動して
いると思わなかったよ。



プレイボーイマガジンの創業者フュー・ヘフナー


ディミトリとフランソワ・ケボーキアン

もっとも影響を受けたDJとリミキサーを教えてください。


 一番影響を受けたのは、フランソワ・ケヴォーキアンだね。彼はPreludeのために数多くのリミックスを手がけていたし、シェップ・ペティボーンやラ
リー・レヴァンにも多大な影響を受けた。フランソワ・Kは特にすごくクリエイティブで、独特のタッチがあった。彼が手がけたレコードは何度も聞き返して研
究してたよ。彼のトリックを全部吸収して、それを模倣していた。彼のおかげで、俺もリミックスを手がけたくなったんだよ。ラジオでオリジナルの曲がかかる
と、3分くらいの曲で特におもしろくないんだけど、フランソワが手がけたリミックス・バージョンの12インチを聴くと、ブレイクが長くなっていたり、おも
しろいパーツが入っていて、オリジナルより何倍もおもしろかった。俺も同じように、既存の曲から新たなものを生み出したくなった。

初来日のエピソード教えてください。最初にプレイしたのはゴールドになりますか?
 初めてプレイしたのはゴールドだったよ。
「おフランス・ナイト」というイベントだったんだけど、忘れられないよ(笑)。90年代半ばに俺がラジオ番組をもっていたとき、フランス最大のラジオ局で
放送されていたんだ。Bay FM Yokohamaが俺の番組の権利を買い取って、日本で放送していたんだ。Bay
FMの連中がフランスにきたときに会って、「日本に行くのが夢なんだ」って話したんだよ。その数ヶ月後に、このイベントに出演しないかっていう電話がか
かってきたんだ。日本で俺の番組を放送しているラジオ番組を担当していたの
がヴィヴィという女性DJで、彼女はフランス語と日本語が話せる人だったんだ。フランス語と日本語で番組をやってたんだけど、彼女がこのイベントを主催し
たんだ。その初来日のときは、本当に衝撃を受けたよ。ゴールドは素晴らしいクラブだったよ。パラダイス・ガラージをモデルにしたクラブだったから、音響シ
ステムも素晴らしかった。そのときに東京が大好きになって、ドラッグみたいに中毒になったんだ(笑)。またすぐに東京に行きたくなったんだ。東京には毎年
2回は行きたいと96年に思ったんだけど、それ以来ずっと毎年2回来日してる。

過去にアルバムを2枚リリースされています。とても美しいハーモニー、ストリングス・オーケストラ、ピアノ、アレンジ、そしてフランスの架空のサウンドトラックのように感じます。

 俺はサウンドトラックが大好きなんだ。10代のときに初めて買ったレコードがサウンドトラックだったんだ。映画が大好きで、そこから音楽が好きになった
んだ。音楽と映像の相互作用に魅力を感じたんだよ。70年代のスパイ映画、警察映画、スリラー映画が大好きだったけど、ジェリー・ゴールドスミスやラロ・
シフリンがブレイクビーツをサントラによく入れていたんだ。当時はブレイクビーツと呼ばれていることも知らなかったけど大好きだったよ。ヒップホップのプ
ロデューサーもよくサントラをサンプリングして、ラッパーにラップさせていたんだ。オーケストラ・ディスコが大好きだったんだけど、オーケストラとビート
を組み合わせているところが好きだった。ファーストはサンプリング中心だったけど、2002年のセカンドでは、サンプルを使わずに、オーケストラを多用し
た。セカンドは、ファーストみたいなサンプルがなかったから、サウンドが違ったんだよ。それ以外にミックスCDやリミックスを手がけていた。アルバムのほ
うが、俺にとって趣味とかサイドプロジェクトみたいなものなんだ。

ディミトリ・フロム・パリというキャラクターは映画からインスパイアされたものですか?

 そうだろうね。俺のファッションスタイルは全て、過去に見た映画がインスピレーションになってる。子供時代は映画を見まくってたんだけど、母親がアメリ
カンクラシックの映画によく連れて行ってくれた。ケーリー・グラント、ジェームス・スチュアート、グレゴリー・ペックが出演した映画は全部見たけど、彼ら
が演じるキャラクターはみんなオシャレだったんだ。彼らを参考にしたんだ。俺はジェームス・ボンドみたいになりたかったんだ(笑)。古い映画を見たおかげ
で、50年代から60年代のファッションが刷り込まれた。今も俺のファッションはそのスタイルだし、今の方がそのスタイルを前面に打ち出してるよ。18歳
の頃は、ネクタイや蝶ネクタイをつけてたら、仲間にどう思われるか気になったけど、今は気にしない(笑)。今は50歳になったから、みんなにどう思われる
気にならないし、好きにできるんだ。スタイルは映画からきているし、レコードのアートワークも同じく50年代と60年代にインスパイアされてる。


ボブ・サンクラーとディミトリ


MUROとディミトリ

あなたは東京のアーティストと様々な交流があります。なかでも親交の深いMURO氏との出会いやきっかけを教えて貰えますか? 
 日本に毎年2回も通っているから、レコード・ショッピングをしていると色々なDJに出会うんだ。東京のレコード店では、どこでもMUROのミックステー
プが置かれていて、グラフィックスも良かったんだ。彼のDJを見たときも衝撃を受けたよ。彼にすごく会いたかったんだ。彼も俺のことを知ってたみたいなん
だ。だから自然と彼と会うことになって、そこからコラボレーションも自然に生まれた。LOOPではDJ
NORIと頻繁にプレイしていたし、アレックス・フロム・トウキョウとも友達だよ。

 MUROはDJとしてすごくスキルがあるし、優れたコレクターだし、素晴らしいセンスの持ち主だ。彼のDJを見るたびに衝撃を受けるよ。彼は
ターンテーブリスト系じゃないけど、オーディエンスをダンスさせるすばらしいスキルをもってる。俺にとってDJというのは、まず第一にオーディエンスをダ
ンスさせられなければ意味がないんだ。MUROはスタイリッシュに、そして巧みにオーディエンスを踊らせることができるから、俺にとってはフェイバリット
のジャパニーズDJだね。

 当時、インターナショナルに活動していたUnited Future Organizationとの交流のきっかけは? 彼らの曲のリミックスの手掛けたり、あなたが監修したディズニーのおしゃれキャットに参加もしています。

 彼らがリリースしたレコードが大好きで、ラファエル・セバーグがフランス人だということを知ってたから、自然と彼と仲良くなったんだ。彼がリミックスを依頼してくれたんだ。

AIRやVISIONも何度もプレイをしていると思います。

Jazztronik presents LOVE TRIBE “Back to 90′s” Release Party feat. Dimitri From Parisはどんなパーティになりますか?

 長年東京でプレイしているけど、初めて同じエリアで連続でDJするんだ。AIRとVISIONは距離的にすごく近いし、しかも二日連続でプレイできるん
だ。そうすることで、俺は二つの全く違うDJセットを披露できるから楽しいんだ。AIRで野崎良太/ジャズトロニックとプレイするときは、ハウスとアン
ダーグラウンド・ダンス・ミュージックを中心にプレイする。VISIONでプレイするときは、ハッピーなディスコ・サウンドをプレイしたい。VISION
のほうが会場が大きくて、客層がAIRと少し違うことを知ってるし、違うプレイをしたいんだ。VISIONはイエローの客層が流れ込んだと聞いているか
ら、あえてあまり知られてないディスコ・レコードをプレイしたいんだ。AIRではアンダーグラウンド・ハウス、エレクトロニックなサウンドをプレイして、
VISIONではパーティー・スタイルのディスコ中心になるよ。

野崎良太との交流は?

 彼とはDJセット中に何度か会ったことがあったんだけど、挨拶くらいしかできなかったんだ。でも彼の音楽的タッチは大好きだし、すごく音楽的才能があると思う。彼のミュージシャンとしての才能をリスペクトしているし、DJとしても優れているよ。

翌日のパーティもどんな形になるか教えてください。KEITH HARING 55TH ANNIVERSARY PARTYfeat. Dimitri from Parisです。

 キース・ヘリングのイベントではディスコ中心にプレイするよ。キース・ヘリングはパラダイス・ガラージに通ってた人だったし、ニューヨークにインスパイ
アされたプレイをする。俺の音楽スタイルの土台は、ニューヨークから誕生した音楽に多大な影響を受けてるんだ。キース・ヘリングのイベントでは、80年代
のニューヨークにインスパイアされた新しいレコードや、古いレコードもプレイできるから楽しみだよ。VISIONの大きな会場の中で、ディスコだけじゃな
くて、ディスコにインスパイアされたレコードをプレイする。決してレトロなプレイをしようと思ってるわけじゃないんだ。キース・ヘリングの時代にインスパ
イアされたレコードをプレイするんだ。

音楽的にブレずにブラックミュージックをこよなく愛しているあなたのスタンスは素晴らしいと思います。

あなたの音楽的な信念などあれば是非聞かせて頂けますでしょうか?

 自分が100%信じていない音楽はプレイしないし、作らないよ。他のアーティストは、成功するためにもっとコマーシャルなサウンドに走った人はいるけ
ど、俺はそうしなかった。あるレコードが流行っているからと言ってプレイしないし、自分が本当にいいと思うレコードしかプレイしない。アンダーグラウンド
とメインストリームな音楽をバランスよくプレイするようにしてる。DJとして、オーディエンスを楽しませて踊らせないといけない。オーディエンスに説教し
てるようなDJではダメだし、理解できないような音楽をプレイしても意味がないんだ。だから、俺は知られていないレコードと、知られているレコードをバラ
ンスよくプレイすることを心がけてる。DJをやり始めたモチベーションは、自分が大好きな音楽をシェアすることだったし、そのモチベーションは今も変わら
ない。ジュークボックスのように、チャートのレコードを次々とプレイすることは俺にとって退屈なんだ。

最後にまもなく来日するファンの皆様へメッセージをください。

 日本のファンは、世代が変わっても、世界一のオーディエンスだよ。俺が15年前に日本でプレイしていたときの客層と、今の客層は違うけど、それでもDJとアーティストに多大なリスペクトがあるから嬉しい。だから、日本で今でも定期的にプレイできて感謝してるよ。

by Yasushi Takayama (RUSH! PRODUCTION)

Translated by Hashim Bharoocha

Jazztronik presents LOVE TRIBE feat. Dimitri From Paris

“Back to 90′s” Release Party

12/20(FRI)
at Daikanyama AIR

10PM〜
【OPEN】¥3500(1D)
w/f ¥3000(1D)
AIR members ¥2500(1D)

MAIN: Dimitri from Paris -90′s set-, 野崎良太 (Jazztronik),
社長 (SOIL&”PIMP”SESSIONS)

LOUNGE: -dB UKi ANNEX by dB UKi Events-

LIVE: birds melt sky (http://birdsmeltsky.com)

DJ: GROOVE PATROL (ALIEN RADIO), musiqconcierge (dB UKi | KIWA
KIWA), Boys Get Hurt (VLS), Norihito Ogawa, Shohei Hoshino (dB UKi | El
Amor), DJ MIXTURE (Nation | dBUKi)

Photo: Junpei Kawahata (dB UKi)

NoMad: Kazuhiko Asami, afromance, hiroshi kinoshita, 監督, Dee Jay, TAKASHI TESHIGAWARA a.k.a. Tessie (DecoLab Entertainment)

KEITH HARING 55TH ANNIVERSARY PARTY
feat. DIMITRI FROM PARIS

2013.12.21 (SAT) at SOUND MUSEUM VISION

【OPEN】23:00

DOOR MEN¥3,500
WOMEN ¥3,000 
VISION MEMBER¥500オフ

DJ:DIMITRI FROM PARIS

DJ EMMA

DJ SARASA a.k.a. Silverboombox

Tetsuya Suzuki(honeyee.com / .fatale)

SATORU KURIHARA(Jazzin’park)

ami(SALON),
Taichi Kawahira,
FRISCO,

Midori Aoyama,
JAVA,
and more

LIVE:
Jasmine Kara

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