Don Cello, In His Own Words

October 24,2008 | Category :  News | Tag :  



By: Zaid© // 10.11.03

私はフィラデルフィアで生まれ育った。音楽人生は50年代にスタートし、はじめは両親が持っていた音楽を聴いていた。マハリア・ジャクソンからクラシック音楽まであらゆる音楽だよ。モダン・ジャズ・カルテットもだ。それから10代の頃、チェロの演奏と、60年代までに起きた出来事を通じてソウル・ミュージックに本気で興味を持ち始めたんだ。しかし、音楽はもっと小さな頃からのめり込んでいて、エルヴィス・プレスリーも大好きだった。彼の大ファンで、ギターで彼の曲全てを練習したよ。それからチェロを演奏するようになり、バッハやモーツァルトを学んだ。8歳の頃だね。音楽を愛し、まるで取り憑かれたようだった。60年代はスタックスと、パーシー・スレッジが大好きだった。オーティス・レディングは天才だと思っていたよ。そういったレコードを好きになり、それからオーケストラによって演奏されるバート・バカラックやディオンヌ・ワーウィックなども好きになり、両親と同世代の多くの人間達と一緒に演奏をする機会を得てチェロ奏者になっていった。

それから、もちろんビートルズの影響も大きかった。だから一生の間で様々なタイプの影響を受けているんだ(笑) 暫くの間、マディ・ウォーターズのようなブルースにはまっていたこともある。フィラデルフィアにはブルースのクラブが1つあって、そこはとても素晴らしかった。アコースティック・ブルースがとても魅力で、1本のギターを手にした男がどんなことを語ることができるのかずっと見ていたよ。

60年代の終わりまでに自分のグループを持っていたが、それ以前は特に注目に値するようなレコードは作っていなかった。一瞬トッド・ラングレンと一緒にグループをやっていたが、彼はグループを抜けて他のことをはじめた。あのグループはしばらくの間とても良いブルース・バンドだったが、レコードを作った事は一度もなかった。たくさんのグループをやってきたがその当時は長く続かなかった。多量のLSDや、その他多くのドラッグなんかのせいだね。たった一年の出来事がもの凄く長く感じた。しかし、私はその当時決定的なものを何もリリースしていなかった。

実際にはセッション・プレイヤーとして、早くからレコーディングに参加し、ギャンブル&ハフや、トミー・ベルといった人達を聞いて、どうやってレコードを作るか学んでいった。チェロ奏者として最も長い時間を過ごし、その後70年代の終わりに向けて、アレンジャーとしての段階に進んだ。この『Larry Gold Presents Don Cello And Friends』は私が作った初めてのアルバムだが、このアルバムでさえも仲間達と共同制作によって生まれたんだ。このレコードでは楽器は1つしか使ってない。私が担当した多くはボーカリスト達の伴奏だから。

生涯をストリングスを演奏することに費やしてきた。80年代後半には、ジョン・ホワイトヘッドが私を彼の息子に紹介してくれ、彼らがやるヒップホップを一緒にやるようになった。ローレンス・グッドマンとの、いくつかのポップ・アートのレコードにも参加し、それは生活の為だったが、音楽の魂に入り込んで行こうとしたものでもあった。

ザ・ルーツとの関わり関しては、あれは彼らがやったことであり、私のものではないんだ。ロドニー・ジャーキンスとブランディーの「The Boy Is Mine」もやったが、確かあのレコードは大ヒットしたな。私は常にスタジオをデザインすることが好きで、スタジオを持ちたいと思っていたんだ。だからフィラデルフィアにスタジオを作った。あたりまえだが、バンドはスタジオで録音する必要があるんだ。最近ではホーム・レコーディングもとてもポピュラーになってきたが、ザ・ルーツは今もスタジオを使っている。だから彼らのセッションはそのスタジオで行われ、一緒にレコードを作ることになったんだ。ジェームス・ポイザーのことを長い間知っているのは、90年代の始めにホワイトヘッド兄弟と一緒にアルバムを作り、彼はそのバンドで演奏していたからだ。もう12年も前の話だね。

ジェームスが幾つなのかは知らないが、あの当時、彼は20代前半だっただろう。ジャジー・ジェフ・タウンズとは長い間、友人でずっと続いている。どうヒップホップに深く関わりだしたのか話すのは難しいね。思うに何が原因だったかと言うと、私が常にレコードを作っていたからだと思う。音楽であまり上手く生計が立てられない時でもレコードを作っていたよ。テープ・レコーダーや、そういったもので常に何か制作していたんだ。基本的には、我々はお互い運命的な出会いだと思っている。彼らが未だに私の事を好きでいてくれることはとても嬉しいことだよ。1つの事がもう1つの事を呼び起こす、運命みたいなものだ。

その当時スコット・ストーチはザ・ルーツと一緒に仕事をしていて、彼は私にティンバーランドを紹介した。近年の私の功績の多くは彼らを通じて得たものだ。一緒に何か始めることがとても素晴らしいと思えた。そんな出来事にストリングスを加えるのは、私にとってとても名誉ある事だ。わかるだろ? 考えるだけで気分は落ち着き、朝そのことをするのが待ちきれなくなるんだ。私のスタジオに来た全ての人達でこのレコードを作った。そして彼らが来た時に私はこう言ったんだ。「なんだ、レコードを作りたいのか?」 どういうレコードを作りたいかの考えは幾つもあったよ。だから我々はレコードを作った。ただそれだけのことだ。

私は謙虚な男で、シーンの裏側にいるのに慣れてしまったんだ。このアルバムは最近のサウンドではない。私が長い年月をかけて学んできたこと全てを語り、それを若いアーティストや、私の古い友人、マックファーデン&ホワイトヘッドやバニー・シグラーらと、作りあげようとした物なんだ。

BBEのピーター・アダークワーが与えてくれたこの機会にとても感謝している。自分自身がこういったことをするなんて考えもしなかったよ。全ては様々なものからの影響によっておこったんだ。ザ・ルーツのカマルと何曲かやり、同じザ・ルーツのアミールは1曲提供してくれた。だからコンピレーションみたいなものだね。全体の80%は共作で、ヒップホップ・ビーツのインストゥルメンタル・アルバムを作るつもりでもいた。いつかそれはやるつもりだよ。しかし、私が毎日やっているのは、こういった素晴らしいヴォーカリストに添うストリングスの曲を書くことで、それも私にとっては素晴らしいレコードを作る美学なんだ。それが私の人生のほとんどで、磨き続けてきたことでもある。

このレコードはどうだ? 興奮したかい? このレコードに対して情熱を持ったかい?

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