Funk Archaeology No.4

January 14,2014 | Category :  News | Tag :  

知られざるインドネシアン・ロック
by Eothen Alapatt aka Egon (Now Again)

 私は、ザ・ローリーズのアルバム『Bad News』を初めて聴いた時のことを覚えている。今から10年近く前の話だ。ストックホルムの中古レコード屋での出来事。ジェームス・ブラウンのサウンドを独特かつ荒削りに解釈したそのアルバムを見逃すことができず、自身のDJセットでタイトル・トラックをプレイし始めた。しかし、評判は芳しくなかった。というのも、「ディープ・ファンク」に当時カテゴライズされていた楽曲としては、少々「ローファイ過ぎた」のだ。そして間もなく、同曲をプレイするのをやめ、数年の間、レコードを棚に放置していた。しかし、トロントを本拠とするヒップホップ・プロデューサーで、60年〜70年代の東南アジア音楽の専門家でもあるジェイソン“モス”コノイと知り合ったことで、同レコードを再び思い出した。モスが、お気に入りのインドネシアン・ファンク・バンドとして、ザ・ローリーズの名前を挙げたのである。
 インドネシア! 私はさらにインドネシアの音楽を送って欲しいとモスに頼み込んだ。そして彼が送ってくれた音楽は、私を狂喜させた。絶え間なく続くファズ、過激で政治色の濃い歌詞、不安定でローファイな音楽は、レア・アースの弟子であるパワー・オブ・ゼウスや、韓国サイケの神様、シン・ジョン・ヒョンと似ていた。モスからシャーク・ムーヴスの「Evil War」が送られてきた時、私はそのドラムとベース・ブレイクに聴き覚えがあることに気づいた。マッドリブが最近、カリーム・リギンスと取り組んでいた曲にサンプリングしていたものだ。サンプリングの許可を得ることができるか、その可能性についてモスに訊ねてみると、モスはバンドのリーダー、ベニー・スバルジャと直接連絡を取り合っている、と笑って言った。様々なことが重なった結果、いつの間にかモスと私、そしてベニーは、70年代のインドネシア・シーンのアンソロジー編纂に取り掛かっていた。このアンソロジー『Those Shocking Shaking Days』は、2011年初頭にリリースされる予定である。本稿では、それらは素晴らしい出来ではあるが、何らかの理由でアンソロジーには収録されなかった楽曲を紹介したい。


Enteng and His Comets with Pattie Bersaudara
“Aku Lupa” (Diamond) 1967

 今や、Sublime Frequenciesといったレーベルの尽力により、女性ガレージ・サイケ・バンドのダラ・プスピータや、大物のクス・ブルソダラといったグループが60年代にリリースした傑作アルバムの正式許諾盤を入手することができる。エンテン・タナマル、彼のバンドであるザ・コメッツ、そしてインドネシアではパティ・ブルソダラとして知られる姉妹は、前述のグループを補完するサウンドを提供。「Aku Lupa」は、私が思うに、1967年頃にDiamond Recordsからリリースされたセルフタイトル・アルバムの中でも傑出した1曲だ。


Shark Move
“My Life” (Shark Move) 1973

 ギタリスト/ボーカリストのベニー・スバルジャは、ガレージロック・バンドのザ・ピールズで音楽的キャリアをスタートさせた。ピールズはインドネシア、シンガポール、マレーシアでささやかな成功を手にしたが、スバルジャがインドネシア屈指のプログレッシヴ・ロック・ミュージシャンとして地位を確立したのは、2つ目のバンド、シャーク・ムーヴでの活動によるものだ。シャーク・ムーヴは、スバルジャ、キーボード奏者のソマン・ルービス、ドラマーのサミー・ザカリア、ボーカリストのバグ・ラムチャンド、ベーシストのジャント・ディアブロがバンドン・テクニカル・インスティテュート(ITB)在学時に、暇つぶしに結成したバンドである。


Benny Soebardja and Lizard
“In 1973” (Shark Move)  1974

 解散するまで反逆者の道を貫いたシャーク・ムーヴは、大手レコード・レーベルと決して契約することなく、インドネシアの「独立」ムーヴメントの先駆者として君臨した。バンドリーダーとしての自身の能力を信じ続けたスバルジャは、シャーク・ムーヴ解散後、間もなく新バンドを結成。兄弟のハリーと、後にジャイアント・ステップのメンバーとなるトリアワン・ムナフとハディ・アリフを率いた。友人であり、シャーク・ムーヴのコラボレーターだったソマン・ルービスの死に明らかに影響を受けていたリザードの楽曲には、暗くメランコリックな性質がある。そのうちの1曲「In 1973」は、1973年にアメリカの片田舎に住むハードロック・バンドがレコーディングしていてもおかしくないサウンドだ。

 

 
Golden Wing
“Hilang” (Purnama) 1972

 ゴールデン・ウィングの前身は、60年代後半、南スマトラ州パレンバンにて結成された、ゴールデン・イーグルスという高校のバスケットボール・チームである。イギリスに影響を受けた70年代前半のインドネシアン・バンドの例に漏れず、初期は、ユーライア・ヒープやブラック・サバスを忠実にカバーしていた。しかし、彼らはマレーのメロディを使うことで、インドネシアでの人気を確固たるものとした。このスタイルを使った「Hilang」はアルバムのハイライトである。大衆に受ける曲を書き、音楽的実験を公然と行うことで人々を魅了したが、最たる魅力は、ステージでの常軌を逸したパフォーマンスである。


Rhythm Kings
“Kanangan Abadiku” (Indra) 1970

 プルバ兄弟は、1967年に北スマトラ州メダンでリズム・キングスを結成した。当時の地方都市では、ロック・ミュージックなどほとんど演奏されていなかったが、彼らの父親が市長だったため、様々な学校行事で演奏することができた。同バンドは、明らかにロック的でない3M主義(高潔な評判を保つ / 麻薬に手を染めない / 学問を優先する)を掲げると、メダンや近郊のアチェを回り、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバス、サンタナ、ビージーズのカバーを演奏した。その後ほどなくして、バンドはジャカルタに拠点を移し、1970年に初のロック・アルバム『Maafkanlah Beta』をIndraからリリース。同アルバム収録の「Kanangan Abadiku」は、明るいサイケデリックポップ・ソングだ。

イーゴンはナウ・アゲイン主宰、ストーンズ・スロウのA&Rであり、レーベル随一を誇るレア・ファンク、ソウル・コレクター。
www.nowagainrecords.com

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