Funk Archaeology No.5

March 31,2011 | Category :  News | Tag :  Egon, Funk Archaeology,

Wax Poetics Japan No.10から始まったNow Againのイーゴンによる新連載“Funk Archaeology”。連載5回目となるミニー・リパートン表紙のNo.14では、ソウル・バラードに関しての記事となっている。原稿と合わせて届いた音源を本サイト「online exclusive」にて読者に公開する。

ダンスフロアに響くソウル・バラード

 60年代後半、ソウル・バンドは実存的な危機に直面した。1967年に「Cold Sweat」がリリースされると、ジェームス・ブラウンのファンクが世界に大きな衝撃を与え、ポップ・ミュージックのリズム的基盤を一変したのだ。「Please, Please, Please」を歌っていたブラウン自身は、胸をえぐられるようなバラードで傷心を最大限に表現し、スロウな曲を決して見限ることはなかったが、ブラウンが世界的な現象となったのは、ファンクあってこその話だ。それゆえ「Cold Sweat」の衝撃が一段落した後、時代の波に乗ったサウンドを演奏する意図を持ったソウル・バンドは、「JBのファンクを追従するか否か?」という選択を迫られた。

 JBファンクの追従を決めたバンドが、JB本人の音楽を聴いていようがいまいが(とは言うものの、60年代後半に進歩主義な音楽をやっていたバンドなら、世界のどこで活動していようと、必ずゴッドファーザー・オブ・ソウルに注意を払っていたはずだ)、彼らがどんなジャンルであれ、JBの影響を受けたバンドを聴いていようが、それらは大した問題ではなかった。そして1968年頃、ソウルのバラードがファンク化しはじめた。
 
 少なくとも私の考えでは、ディスコ台頭前のファンク時代に誕生した名作バラードの数曲は、以下のフォーマットで作られていた。第一に、過去に何度も歌われている真実のテーマ(多くの場合、それらは陳腐でもあるのだが)を用いる(愛の喪失、愛に対する永遠の献身、愛するが故の許し、愛するが故の無分別な行動など、愛を中心とした内容となるのはお約束だ)。そして第二に、それをJBファンクの真髄で飾り立てる。バラードは本来、意気消沈した女性が独り家にこもり、泣きじゃくるためにあるものだった。しかし、その時代に生まれたバラードは、家のスピーカーから、クラブの世界へと進出した。
 
 ファンクはもちろん踊るための音楽だ。傷心、後悔、恐怖、失敗を歌ったそれらの楽曲が初めて演奏された時、新しい愛が生まれるきっかけを作ったはずだ。もしそうでなかったとしても、それらの楽曲は、オリジナル・リリースから数十年を経た後、新たな愛を確実に作っていた。2000年初頭までに、新世代のファンが、それら無名の楽曲を掘り起こした。曲を作った本人達は、引き裂かれる愛について歌っていたが、それらの楽曲を再びかけ始めたDJ達は、魅惑的なマイナーコードで、人々を引き合わせたのである。


Sir Guy and the Speller Brothers Band

“Let Home Cross Your Mind” (D.P.G.) 1970

 クラレンス“サー・ガイ”バロンの魅惑的な単発プロジェクト。今は亡きヴァージニアのソウルスターは「Funky Virginia」で最も良く知られており、同曲はノーフォークのレーベル、DPGから2回リリースされた。「Let Home Cross Your Mind」は、正体不明のスペラー・ブラザーズ・バンドをバックに、バロンがリリースした唯一の作品だ。そのリズムやメロディーは、ジェームス・ブラウンの『Live at the Apollo II』収録の「There Was a Time」を彷彿とさせる。しかし、同曲が本リスト入りを果たしたのは、失った愛に対するバロンの悲痛な訴えが理由である(彼は自分のもとを去った女性に対して「艱難の山」を降り「家に戻って」くれと懇願するが、彼女はおそらく彼の叫びを聞くことはないだろう)。
 同曲の終盤45秒は、まさにヘビー・ファンクだ。レーベルを主宰していたジョージ・パーキンスもそれに気づいたのだろう。パーキンスは、このヴァンプとバロンの「アイ・ニード・ユー」というアドリブを土台に使うと、バロンをロー・ソウルというバンドと組ませ、ディスコ時代に「I Need You Baby」をレコーディングした。パーキンスは歴史を修正しようとしていたのだろうか、後者の45回転シングルに「Let Home Cross Your Mind」と同じカタログ番号を付けていた。幸いにも「Let Home Cross Your Mind」のシングルが数枚見つかり、同曲におけるバロンの見事な歌唱が陽の目を見た。ヴァージニアの孤独な名曲である。

Fred Williams and the Jewels Band

“Tell Her” (Solo) 1970


 スマート・ブラザーズが主宰していたカンザス州ウィチタのレーベル、Soloは、80年代後半に会社が傾いてから間もなく、(間接的であったにせよ)世界的な評価を受けた。90年代前半、ヨーロッパのブートレグ業者はアイズレー・ブラザーズに影響を受けたセロン&ダレルの「It’s Your Love」に注目し、影響力の大きな『The Sound of Funk』シリーズに同曲を収録。それから10年以上経った後、Jazzmanが合法的にSoloからリリースされた「Tell Her」をアンソロジー『Midwest Funk』に収録した。その後、ほどなくして、Numero GroupはSoloのアンソロジー『Smart’s Palace』をリリースした。
 スマート・ブラザーズは、決してアップテンポなバラードを敬遠しなかった(「It’s Your Love」のB面に収録されている「I Was Made to Love Her」は探す価値のある楽曲だ)。しかし、Soloのカタログの中では、ミニマルな「Tell Her」が出色の出来である。ウィリアムズが舌をもつれさせながら、痛ましいギターと繰り広げるコール&レスポンスは、風にさらされた砂利道の情景を喚起する。2分間の埃っぽいソウルが続く終盤で、ウィリアムズは名のないメッセンジャーに対し、不明瞭な言葉で叫ぶ。彼はこれが最期の言葉になるかもしれないと、伝言を頼んだのだ。傷心を歌ったウィリアムズは、最高にリアルである。ベーシストとドラマーも「Tell Her」が虚空へと消えていくまで、ウィリアムズに合わせてテンポを上げ続けていく。



Caprells with the Sul Brothers Band


“Close Your Eyes” (Bano) 1970

 ピッツバーグを本拠とするディクソン一家(ロドニー、ジョイス、ミッキーと、バンドリーダー/リード・ボーカリスト/アレンジャーのグレン)は、自らの資金で設立したレーベル、Banoから、キャプレルズとしてレコードを多数リリースした。中でも、最初にリリースしたカバー曲「Close Your Eyes」が最高の出来である。同曲は、エラ・フィッツジェラルドやドリス・デイもカバーした30年代のスタンダードだ。グレン・ディクソンがアレンジし、ザ・サル・ブラザーズ・バンド(実体のなさそうなバンドだ)がバックを務めた「Close Your Eyes」は、ティン・パン・アレーの名曲に新たな息吹を吹き込んだだけでなく、同曲を全くの別物にしてしまった。現在のリスナーが同曲を聴いて、ディクソン自身がソングライティングを手がけ、ムラトゥ・アスタトゥケにプロデュースを依頼し、バーナード・パーティをドラムに招いたと思ったとしても不思議ではない。
 2006年、「Close Your Eyes」をきっかけにキャプレルズの評価見直しの機運が高まった矢先、ディクソンは54歳の若さでこの世を去った。死因は、サルコイドーシスによる合併症だ。これは治療可能だが、ほとんど語られることのない稀な病気である。34年前に彼が天使のようなファルセットで歌った同曲は、遺族にちょっとした慰めを与えているに違いない。妻のリナはディクソンを賛え、ハート・オブ・ゴールド基金を創設した。



The Formulars Dance Band


“Never Never Let Me Down” (Afrodisia) 1972

 フォーミュラーズ・ダンス・バンドの「Never Never Let Me Down」は、本リスト中で唯一の非アメリカ産楽曲だ。この曲に落ち着くまで、私はアフリカ大陸産の楽曲を数多く聴いた。エチオピアのファンキーなティジータ(バラード)の巨匠(マハムッド・アハメッドとアヤレウ・メスフィンは、70年代のレコーディングで自由にファンクを使い、アムハラ語のバラードに変革をもたらした2人だ)の曲を入れようと私は考えていた。また、ザンロックの伝説的アーティスト、故ポール“ンゴゾ”ニロンゴについても検討していた。彼が70年代半ばに出したアルバムにはどれも、ファンクに影響を受けたバラードが少なくとも1曲は入っていたからだ。
 最終的に、私はナイジェリアにあるDecca傘下のレーベル、Afrodisiaからリリースされた同シングルを選んだ。同曲の生まれは慎ましい。これは、何十曲もレコーディングされた「ロック」シングルのうちの1曲に過ぎなかったのだ。その後の消息が一切不明のバンドによる演奏で、Afrodisiaの社内プロデューサーを務めていたナイジェリア在住イギリス人、デイヴ・ベネットの指揮のもとで同曲はレコーディングされた。同シングルは、ベネットが手掛けた他のプロダクションとは一線を画している。彼の楽曲の大半はプログレッシヴで、今日でもまだ奇抜に聴こえるほどだ。一方、「Never Never Let Me Down」は、土台となるファンクと、ベネットのお気に入りだったワウワウ・ギターを除き、非常に古いスタイルである。60年代前半のフィラデルフィアのバンドに向けたドゥーワップ・ソングにしても良かったほどだ。



Hamilton Movement


“She’s Gone” (Look-Out) 1976

 オハイオとインディアナを本拠としたバンド、ハミルトン・ムーヴメントは、インディアナポリスの企業家、ディック・メルヴィンが主宰するPure Soul Productionsで、70年代半ばのソウルとファンク楽曲をレコーディングしていた。彼らの作品の中で最もレアであり、(私の意見では)最高の楽曲は、最初にリリースされた「She’s Gone」である。しかしメルヴィンの意見は違ったようだ。「She’s Gone」のB面だった平均的なファンク・ナンバー「We’re Gonna Party」はその後、メルヴィンがプロデュースした作品に2回収録されたが、名曲「She’s Gone」は無名の存在で終わってしまった。このLook-Outの45回転シングルのオリジナル盤には、現在3,000ドル以上の値が付いている。
 この盤は、レア度、評判、品質が全て噛み合った1枚だ。70年代のインディアナポリスは、アップテンポなバラードを多数産出していた。ハイライターズの「For the Love of My Girl」やファビュラス・ソウルズの「Take Me」が思い浮かぶが、「She’s Gone」はナップタウン(インディアナポリス)から生まれた最高のソウル・レコードである。

-Eothen “Egon” Alapatt, Los Angeles, 2011. 

イーセン “イーゴン” アラパット、2011年ロサンゼルスにて。

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