Funk Archaeology No.7

August 09,2011 | Category :  News | Tag :  

Wax Poetics Japan No.10から始まったNow Againのイーゴンによる新連載“Funk
Archaeology”。連載7回目となるグレゴリー・アイザックス表紙のNo.16では、我が子に捧げるプレイリストと題した記事となっている。原稿と合わせて届いた音源を本サイト「online exclusive」にて読者に公開する。

我が子に捧げるプレイリスト

 妻と私は、初めて人の親になった。2011年1月14日、息子のキーラン・ウィレム・カンポス・アラパットが、この世に生まれたのだ。私は音楽的な一家の出身である。母は私が生まれた頃からピアノを教えており、現在も私の故郷、コネチカット州にあるスズキ・メソッドの学校で指導を続けている。幼い息子、キーランに音楽的な趣味を植えつける最良の方法について、多数の理論があることは重々承知している。『Bach for Baby’s Brain』(赤ん坊に聴かせるクラシック、バッハ編)のCDは、家のDVDプレイヤーでも頻繁に再生された。我が家にCDプレイヤーはなく、音楽の大半は、黒色のヴァイナルに刻まれた溝をダイヤモンドのレコード針が滑走することで、生み出されている。

 新生児は頻繁に泣き、安心を強く求める。息子が生まれて間もない頃から、妻は休息を必要とした。それゆえ、私が息子と親密になる時間を持てたわけだが、ごく自然に私は、ターンテーブルの前に鎮座するヴァイナルの山に引き寄せられた。息子のためにかけた最初のレコードは、ウォーターカラーの蒸せかえるようなソウル「All Bundled into One」だ。これは失敗だった。2枚目はインドネシアのポップ・サイケ集団、アリエスタ・ビラワ・グループの開放的なジャム。こちらの方が、息子には遙かに受けが良かった。

 そこで思った。私が現在愛している音楽は、ごく幼い頃に聴いていた音楽が基盤となっている、と。例えば、私は地中海のサイケデリック・フュージョンが好きだ。両親のお気に入りの1つが、ミキス・テオドラキスが手がけた『Z』(コスタ・ガヴラス監督)の映画音楽だったのも納得がいく。両親は、ソウルではスライ&ザ・ファミリー・ストーンの『Stand』を、ジャズではマイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』を特に好んで聴いていた。また、私は10歳になる頃には、ガルト・マクダーモットによるサントラ『Hair』の歌詞をほとんど暗記していた。大学の頃、マクダーモットのKilmarnock Records時代の膨大なディスコグラフィーを見つけた時には、その脈動するリズムと時代を超越したメロディーによって、私は子供時代に引き戻されたのである。
 
 こうして私は、幼いキーランに何がしっくり来るのか見極めようと、さまざまなレコードをかけた。ただし、アメリカの偉大なる作曲家、ホーギー・カーマイケルの童謡をサイケデリック・ジャズで解釈したスターク・リアリティーを聴かせたりはしていない。また、1970年にWGBHで放映された、カーマイケルのパイロット番組の海賊版DVDも見せていない。しかし、以下の曲に対する息子のポジティヴな反応は、息子の柔軟な心を示唆していると思う。妻と私は、彼の柔軟性を育んでいくことができるだろう。息子のお気に入りの童謡が、妻の歌うカエターノ・ヴェローゾの「O Leaozinho」というのも、嬉しい兆しである。

Ariesta Birawa
“Didunia Yang Lain” (Serimpi) circa 1970

 息子を釘付けにした最初の曲である。彼が生まれる前、私はインドネシアのロックとファンクのコンピレーションを編集しており、この曲をよくかけていたものだ。息子は、この渦巻くようなサイケデリック・ジャム・セッションを胎内で聴いていたことを思い出したのだ、と私は考えたい。しかし実際は、絶えず鳴り響くパーカッション、競い合うシンセサイザーとファズ・ギター、穏やかなフルートと控えめなボーカルが、息子の心を奪っているだけなのだろう。息子は生後1ヵ月にして、私の膝の上に大人しく座り、インドネシア・ロック屈指の1曲を聴いていた。


Damon
“Birds Fly So High” (Ankh) 1968


 私はロサンゼルスで、2児の父でもあるプロデューサー、マリオCの近所に住んでいる。彼の家を訪問中に妻は、私が生後2ヵ月の息子に激しい音楽を聴かせていることについてどう思うかと、彼にアドバイスを求めた。彼は、もっと柔らかい音を聴かせるべきだと断言した。デイモンの『Song of a Gypsy』が、すぐさま私の頭に浮かんだ。息子が生まれる前、本人が私にプレゼントしてくれたアルバムである。そして私は、必ずアルバムを息子に聴かせるとデイモンに約束した。最初にかけたのは「Birds Fly So High」。当然の選択である。ダークで神話的なアメリカのロック・アルバムからもぎ取られた、とりとめのないサイケデリックな子守唄だ。


Antonio Paulino
“Camba Ba Luamba” (Rebita) early 70s

 アンゴラとポルトガルの血筋を持ち、マランゲ市で生まれた私の義母。息子が生まれてから3ヵ月の間、彼女はロサンゼルスで私達と一緒に過ごした。これは、70年代前半のアンゴラで、彼女が特に好きだった曲の1つだ。同国の内戦前、より幸福だった時代を思い出させる1曲である。彼女は内戦により、当時まだ乳児だった娘を連れて母国を逃れた。この7インチ・シングルがきっかけとなり、彼女は家族の物語(その登場人物の多くが亡くなって久しい)を話し始め、私は喜んでその話に聞き入った。その間、息子はじっと座り、この曲に魅了されていた。義理の母はすでにポルトガルに戻ったが、私は息子キーランにこの曲をよく聴かせている。キーランが、祖母の存在を思い出すよう、そして自身が受け継いだディープなリズムを楽しめるように。

Mulatu Astatke and the All Star Band
feat. Menelik Wossenatchew
“Mambo Sambo” (Philips Ethiopia) early 70s

 私の父は60年代後半に、インドからアメリカに移住した。インド音楽は我々の家庭教育において、大きな割合を占めていた。ウェスリアン大学での古典的パフォーマンス観賞や、父が長年かけてなんとか持ち込んだ僅かばかりのレコードから、インド音楽を聴いていたのだ。私は、アディス・アベバで撮影された少年時代の父の写真を思い出し、キーランにこの曲を聴かせた。まだリイシューされていない、エチオピアの名曲である。息子はこの曲を気に入った。祖父が設立して間もないエチオピア航空で働いていたこともあり、私の家族はエチオピアと繋がりがある。私はそのことをずっと知っていた。東アフリカに位置する同国の音楽に私が執着しているのは、アムハラ語(エチオピアの公用語)のバラードとペンタトニック・スケール(五音音階)に対する愛が、家族から遺伝したからなのだろうか、と思いを巡らせたものだ。メネリク・ウォセナチューが見事に歌うムラトゥ・アスタトゥケの名曲を聴きながら、息子についても私は同じことを考えた。

Sevil and Ayla
“Irgat” (Coskun) early 70s

 本誌・前号の連載(トルコのロッカー、バルシュ・マンチョによる70年代のレコーディング)を執筆していた時、妻は泣いているキーランを私に預け、頑張ってなだめて欲しいと告げた。私はセヴィル&アイラの「Bebek」をひっくり返し、裏面に収録されている「Irgat」のドラマティックなストリングスと快活な雰囲気で、泣く息子の気を引こうとした。これが功を奏した。上手く行き過ぎたほどである。私はいつの間にか、この曲を繰り返しかけながら、手際よく赤ん坊を寝かしつけていた。私にとって、初めての体験だった。そしてその日遅く、私は地元の肉屋に、トルコのファズ・ギターの音色で眠りに落ちることができる息子は、間違いなく我々夫婦の子供だと自慢気に語った。だからと言って、息子が将来、クッキー・モンスターのようなサウンドを出す音楽ばかりを聴く、ということにはならないだろう(私はそんな音楽しか聴かず、親を煩わせたことがあるが)。しかし今のところ、キーランが自らの意志で拒絶の声を発するようになるまでの間は、彼が今後もこういったサウンドの記憶を持ち続けてくれることを願いながら、息子と共にこの音楽の世界に浸ろう。

イーゴンはNow Again主宰、Stones ThrowのA&Rであり、レーベル随一を誇るレア・ファンク、ソウル・コレクター。
www.nowagainrecords.com

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