Joe Bataan: Bonus Round

October 02,2009 | Category :  News | Tag :  Joe Bataan,

By: Oliver Wang // 10.02.06

ワックス・ポエティックスはラテン・アイコンのジョー・バターンのボーナス・インタヴューを敢行した。

バターン特集はUS版ワックス・ポエティックス19号を。

There’s a “Riot” Going On
ジョー・バターンのファニア・レコードでの最初の2枚のアルバム『Gypsy Woman』と『Subway Joe』は1つのアルバムを2つに分けたようで、どちらも似たようなバラードやブーガルーが入っている。ファニアでのサード・アルバム『Riot!』ではアーティストとして彼独特のスタイルを見つけ、特にステージ上で新たな方向性を示している。




最初のアルバム2枚と『Riot!』はどのような点が違っていますか?
『Riot!』が僕に最初に本当の意味でパフォームする場を与えてくれた。だけど当時バンドにいたメンバーは右も左もわからない状態だったんだ。バンドのメンバー1人1人が自分の1パート、ダンス、衣装の着方を学ばないといけなかったし、あとどうやって魅力を出すか、どうやったら観客の心をつかめるかも知らないといけなかった。みんな観客の反応を見るまでは自身がなかったし、自分もそうだった。みんな、観客が認めてくれるまでは自分がどれだけできているかわからなかったんだ。だけど観客が認めてくれたから、ステージは自分たちのもんだって思えるようになったね。

ではそれからはライヴの方にも、もっと力を入れ始めたんですか?
振付に関しては、きちんとやっていたグループはエル・グラン・コンボぐらいしかいなかったから、彼らから学ばせてもらったよ。

プエルトリコ出身のエル・グラン・コンボですか?
うん。彼らから勉強させてもらったんだけど、それを自分のスタイルに落とし込んだ感じだね。僕らのステージはワイルドだったよ。当時はただ座って演奏するのが普通で、やっても左右に揺れながらっていうのが限界だった。僕たちの場合はステージを飛び出したり、トロンボーン奏者が動きを入れたり、コンガを足で叩いたり、ドラムの下に光を当てて暗闇で光るようにしたり、斬新なもの、盛り上がるものはなんでもやった。フィルモア・イーストでのザ・フーのライヴも参考にした。「こいつらギターを燃やしちまったぞ。これ以上のことは何ができる?」って言って、発煙機を使ったりしたけど、あと少しでクラブを燃やしてしまうところだったよ(笑)。

あなたやレイ・バレット、ジョニー・コロンがファニアを支えていた時、ティコ、コティークなどのラテン系レーベルはだんだん勢いをなくしていきましたね。
ああ、そのとおりだね。特にアレグレとティコなんかはね。時代は変わってきてたからそこらへんのビッグ・バンドは全然売れなくなってた。まあ最低ラインぎりぎりぐらいは売れてたけどウィリー・コロン、私、ジョニー・コロン、ティトー・ロドリゲス、ジョー・キューバがいた時ほどの大ヒットがなくなってた。

そのアーティストたちとはどうやって知り合ったのですか?
もとからみんな知ってて、一緒に演奏したことがあった。当時1晩に3、4か所で演奏するのは普通で、どうしても会うことになったよ。近所の友達みたいなもんだ。まあお互いあいつには負けないぞって思ってやっていたけどね。(笑)。

友好的対決ってやつですね。
間違いないね。

他に有名なプレーヤーでは誰と仲良くしていますか?
ある時はウィリー・コロンで、もちろんラルフィ・ペイガンもだね。競争心が強いから、あまり親密になった人はいないかな。僕はいつも努力努力努力で完璧を目指してたから、他の人のプレーを見ること以外にあまり時間を割くことができなかった。

Ghetto Soul
バターンがファニアと契約はしていたが関係がうまくいってなかった頃、彼はゲットー・レコードというレーベルを水面下で進めていた。限られたディストリビューション環境のせいで、よほどのラテンマニアじゃない限りその存在を知らなかったが、その興隆と衰退に隠されたドラマを知る人はもっと少ない。

ゲットー・レコードについて教えて下さい。レコーディングこそしてませんでしたがファニアとの契約期間中に作ったのですか?
うん。やればできるっていうことを見せたくて、ゲットー・レコードを作ったんだ。もちろん反抗精神からね。僕の人生はいつも反抗精神なんだ。その時に業界にとって脅威となった。特にルーレット・レコードのモリス・レヴィー、ファニアのジェリー・マスーチにとってはね。

ゲットー・レコードでの最初のアルバムはなんですか?
ポール・オーティスだね。僕がプロデュースして大ヒットになった。僕に似てたね。特に「Tender Love」はものすごいヒットだった。



それはスイート・ソウルでしたか?
うん。とてもとてもロマンチックな、チャチャ・サウンドのバラードだった。

結局ゲットー・レコードではいくつのアルバムを作ったのですか?
えっと、オーティスと、パポ・フェリックスと、エディ・レブロンの3つかな。

レブロン・ブラザーズのレブロンですか?
いや。全く別だね。

今まだファニアと契約していたら、どうやってディストリビューションをうまく活用していると思いますか。マスーチには邪魔させませんよね。
もちろん。マスーチは邪魔しようとしてたけど、ディストリビューターは気にもかけてなかった。レコードが売れさえすればいいんだ。それは業界で学んだ。レコードが売れさえすれば誰も文句は言わないよ。まあ誰かが脅したとしても、奴らは巧妙な手口で、あっちで100個、こっちでは200個とかやるだろう。

レーベル設立にあたっての資本金はどうやって用意したのですか?
ドラッグ・ディーラーのジョージ・フェボっていうやつと設立した。もちろんお金の出所は聞かなかったけど。

フェボとはどういう繋がりですか?
普通に道端で知り合った。ストリートではみんながみんなを知ってたんだ。ドラッグ・ディーラーからピンプまで。それが普通だったんだ。何もおかしいことはない。

フェボはもとからレーベル設立に興味があったのですか?
たぶん彼は有名になりたかったんじゃないかな。彼の興味は名前を売ることと、あとはお金の管理ぐらいじゃないのかな。もちろん失敗に終わったけどね。彼はちょっと知識を得ると、僕を騙そうとしたんだ。他の人と同じように僕のアイデアを盗用しようとした。

彼はそのレーベルでアルバムを出し続けましたか?
うん。確かキャンディードとリッチー・レイと他にもいくつか。成功したものもあったけど結局は衰退していったね。その時に僕のところにレーベルの権利を返してきた。あれはたぶん作戦だったね。電話も盗聴されてたし。その後彼はドラッグ関係でF.B.I.の調査を受けてた。幸運にも僕は調査を受けなかったよ。

その後ゲットー・レコードからアルバムを出しましたか?
いいや。あの後は金銭的にぼろぼろでね。資本を失った状態でやりくりするのは無理だったよ。

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