Lord Jamar

November 23,2008 | Category :  News | Tag :  

By: David Ma © // 06.26.06

若い世代はローレンゾ・デチェロースのことをHBOの番組「Sopranos」と「Oz」の俳優として覚えているだろうが、ヒップホップのファンは彼のことを昔からロードジャマーという名前で覚えているだろう。  

ブランド・ヌビアンの結成メンバーとして、業界が波乱に面している中、安定を保ちながらジャマーはニューヨークの豊かなヒップ・ホップの歴史を直接目撃してきた。ここ数年の間にジャマーは新たに俳優としてのキャリアと音楽制作の需要のバランスを保つのに多忙を極めている。「俺のエージェントはほとんどの俳優の仕事を扱っていて、その仕事が得られるのは幸運な事だ」と快活な37歳は説明する。「けれど、俺は常に音楽を作る欲求を持っている」 
ジャマーはついに音楽への渇望をBabygrande Recordsからリリースされている初めてのソロ・プロジェクト、『The 5% Album』を完成させる事によって満たした。地平線が満ちた時、ジャマーはWax Poeticsと昔を振り返り、ブランド・ヌビアンの結成まもない年のこと、ダンテ・ロスとの活動、ウータンとの低迷期、政治が音楽へ与える影響について思い起こす。 
人々はヒップ・ホップの創世記について読み、想像をふくらましていますが、あなたはそこに居合わせ、それを実現していました。あの時代の思考や感覚を憶えていますか? 
信じられないものだったよ! あの当時は全てがよりオリジナリティーに溢れていた。トライブ、デ・ラ・ソウル、マーリー・マール、クール・モー・ディー、そして彼ら以前の全ての奴らもだ。誰の曲を聞こうなんて考える必要はなかったのさ。あの時は全てがフレッシュでクールだったんだ。 
ウータンのメンバーに会ったのは、そのからほんの数年後でしたね?
ああ。俺はウータンが出てくる前から知っている。彼らはThe 5% Nationのメンバーだったから、その流れで出会った。俺たちはいつもクールだったぜ。初めて会った時、RZAはまだプリンス・ラキームだったんだ。(笑) 「俺たちはお前を愛してるぜ、ラキーム!」The 5% Nationの資金集めでRZA、オール・ダーティー・バスタード、GZAに会ったんだ。それから似た考えのアーティスト同士としてコンスタントに連絡を取り合ったんだ。 
ニューアルバムでのRZAとレイクウォンとのコラボレーションはいかがでしたか? 
俺たちは常に会って一緒に仕事がしたかったんだけど、今まで難しかった。俺たちはずっとその話をしていて、ついに実現する事ができて凄く嬉しいよ。 
オール・ダーティー・バスタードについて多くのことが書かれ言われています。しかし、あなたは個人的に彼を知っていますね。彼に対しての情報で誤解はありますか? また、皆に知っておいてもらいたい事はなにかありますか?
もちろんだね。あいつに関して言っておきたい事はたくさんある。あいつは俺の親友だった。多くの奴らがあいつをワイルドでクレイジーな奴だと思っているけど、俺は違うあいつを知ってる。あいつは凄く賢い奴なんだ。一緒に座ってたくさんの事について話していたが、奴におかしな所なんて1つもなかった。おそらくマスメディアの仕業と、イメージとして取り巻くドラッグや薬物のせいで、皆がワイルドでクレイジーな奴としてみているんだ。でもな、あいつは俺の友達でただただ良い奴だったんだ。共に過ごした時間を思い出すと寂しく思うよ。 
あなたはたくさんのヒップ・ホップ界のアイコン達を個人的に知っていますね。その中でグランド・プーバとサダト・エックスとの出会いについて、そしてブランド・ヌビアンの結成について教えてもらえますか? 
まず、ブランド・ヌビアンについては、俺たちは同じ場所で育ったんだ。ニュー・ロッチェはブルックリンほど大きくないんだ。わかるだろ? でかいけど、そこまででかいわけじゃない。基本的にヒップ・ホップを通してお互いを知るようになって、その時は別々の事をしていた。プーバはオリジナル・ギャングスタだった。彼はすでに何枚かのレコードを出していて、全てにおいて名を馳せていたんだ。俺とサダトはまだひよっこだった。俺たちはいろんなショーやブロック・パーティーなどで一緒に仕事をするようになって、その後徐々に一緒にやるようになったんだ。 
ではあなたはプーバにパーフォーマンスやギグを通じて出会ったんですね。あなたとサダトはその前から友達だったのですか? どうやって2人は出会ったのですか?
サダトには人だかりで出会ったよ。(笑) あいつに出くわして、俺は「ロッチェで一番だぜ!」みたいな感じだったんだ。で、あいつに俺だけが一番じゃなかったって事を教わった。(笑) それがサダトと俺の一番最初の記憶だな。今考えると、おかしなもんだな。 
では、ダンテ・ロスと知り合ったのはいつですか? 
ダンテはマスターズ・オブ・セレモニーから知ってるプーバを通じて出会った。ダンテはいつもプーバが一番ドープだって思ってたようで、俺たちがブランド・ヌビアンの作品を売り歩いていた時にデモをダンテに渡したんだ。 
ダンテはブランド・ヌビアンの作品も含めてとても評価の高いヒップ・ホップのレコードを手掛けています。彼と共に働くのはいかがでしたか?
彼と一緒に働くのは常にクールな事だった。その時は俺たちは若くて、他のやり方が出来たかも知れないけど、(笑) さっき言ったように、俺たちはガキだった。それだけの事さ。全体としてダンテと働くのは常に良い経験だったよ。彼はたくさんのノウハウを持っていたんだ。 
『One for All』をリリースした後、プーバはグループから離れました。あなたはどういう反応を見せましたか? 
俺たちは、プーバはドープだって思ってた。だけど、俺たちもドープなんだって知らしめなきゃいけなかった。初めてのレコードが成功した多くの原因はグループでの努力で、彼は3人の中の1人でしかなかったんだ。ああ、もちろん俺たちは困惑したけど、その事で泣いてはいなかった。彼は彼の事をやる、そして俺たちは俺たちの事をやるってだけだった。俺たちはただ先に進んでいかなくちゃならなかったんだ。
続くレコードは『In God We Trust』でした。たくさんの人があのレコードの事を気にしなかったのはプーバがいなかったからだと思いますか? 
もう一度言う、あの時はサダトと俺がプーバと居た場所から抜け出すのに何をしなければいけないか皆がわかっていなかったんだ。みんな俺たちがライム、プロダクション、コンセプト、セールスそして全てにおいて長けている事を知らなかったんだ。初めのうちは業界の奴らがプーバが抜けた事を利用しようとしていた。俺たちに外部のプロダクションを買わさせることによって、多額の金を得ようとしていたんだ。けれど奴らは、俺たちが自分たちでやった方がよっぽど上手く出来るようなトラックに、金を払わせようとしたんだ。だからあのアルバムで、俺たちは機材を買ってトラックをプロデュースし、全てを自分達でやった。あのレコードからはいくつかのヒットが生まれ、今でも聞く事のできるアルバムでドープなヒップ・ホップだと俺は思ってる。 
『One for All』にしろ『The 5% Album』にしろあなたの音楽は常に政治的問題が挙げられています。個人として政治はあなたの音楽にどんな影響を与え、今現在の政治に対しあなたはどう思われますか? 
今の政治は今までとちっとも変わってないよ。ブッシュは俺たちがやり始めた時からいて、今もまだブッシュだ! おかしいだろ(笑) 戦争や社会の風潮、そしてそういったもの全て、そして俺たちが何年もの間作ってきた音楽の為に、世界は俺たちがこれらのトラックを作ることをインスパイアする確かな風潮になる事が必要なんだ。ジョージ・ブッシュのような人間の助けでも、不幸な事に俺の作るような音楽が拠り所を持つ為の風潮を作りあげるんだ。多くの人はクリントンが政権を担っていた時ほど世界はクールじゃないと思っていると、俺が感じているからだろう。けれど、政治は常にインスピレーションの源だ。今までそうあって来たようにな。 
あなたを俳優としてだけ認知している若者に対してなにかコメントはありますか? ブランド・ヌビアンのファンに対してはどうですか? 
そうだな、ただありがとうって言いたいぜ。単純にそう言いたい。音楽だろうが演技だろうが、俺はお前達をがっかりさせるような事はしない。少なくともそうしないように努力する。お前達が俺に寄せた信用を決して裏切ったりはしないよ。
 

Share this Article
Facebookでシェア
Twitterでシェア
コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>