Rare Groove Master

May 17,2012 | Category :  News | Tag :  


Norman Jay
レアグルーヴを極めたDJ


 


by Hashim Bharoocha


photos courtesy of Norman Jay

幼少期からDJに興味を抱き、70年代からニューヨークに通って、かの地のクラブ・カルチャーを体感した彼は、ヨーロッパ最大のストリート・フェスティバルであるノッティングヒル・カーニバルで伝説的なサウンドシステム、Good Timesを立ち上げた。80年代には海賊放送番組『The Original Rare Groove Show』で入手困難なブラック・ミュージックの公布活動をしながら、クラブ・プロモーターとしてニューヨークの最新のハウスDJやシンガーをイギリスに招聘し、90年代に入るとジャイルス・ピーターソンとレーベル、Talkin’ Loudを創設。パイオニア的な存在の彼は、2002年にエリザベス女王から直々にMBE勲章を授与された。DJとしては初の快挙である。ノーマン・ジェイほどレジェンドという言葉が相応しいDJはいないだろうが、その濃密なDJ人生について大いに語ってもらった。

あなたの子供の頃について教えてください。


 ロンドンのノッティングヒルに生まれた。両親はグレナダ(カリブ海の小アンティル諸島南部に位置するイギリス連邦加盟国)の出身だよ。とても音楽的な家庭で、兄弟はみんな楽器を演奏していた。子供の頃から私はレコード・プレイヤーに興味があったんだ。ヴァイナルをレコード・プレイヤーで再生して、スピーカーから出てくる音に魅了されていた。7歳か8歳のときにDJを始めたけど、60年代だったから、父親のターンテーブルで初期のレゲエ、スカ、Blue Beat、Motown、Stax、マイルス・デイヴィス、サミー・デイヴィスなどをプレイしていた。


 私が初めてDJとして出演したイベントは、いとこの10歳の誕生日会だ(笑)。レコードをたくさん持っていたからDJを頼まれたんだ。父親の影響もあって、子供の頃から私は熱狂的なレコード・コレクターだった。アメリカのブラック・ミュージックのスタイルを全て追っていたね。

70年代から頻繁にニューヨークに通うようになったそうですが、それはあなたにどのような影響を及ぼしましたか?


 当時ニューヨークに行ったことは、私に大きな影響を与えたよ。親戚がニューヨークに住んでいたから、夏になるとニューヨークに遊びに行くようになった。ブラック・ミュージックが大好きな私にとって、ニューヨークに行くことはメッカ巡礼のような体験だったね。レコード店がたくさんあったし、当時はイギリス・ポンドが強かったから、レコードを安く入手することもできた。ほぼ毎日レコード店に入り浸り、レコードをたくさん持って帰った。当時はシックやクラウン・ハイツ・アフェアも好きだったし、シカゴやデトロイトなどのディープ・ソウルも好きだったね。ウェスト・コースト・ジャズも好きだったし、できるだけたくさんの音楽を吸収しようとしていたんだ。

70年代のニューヨークでDJもしていたのでしょうか?


 いや、DJはしていなかったが、叔父がイースト・フラットブッシュでフラミンゴというカリビアン・クラブを経営していて、自分のサウンドシステムも持っていたんだ。叔父はレゲエやカリビアン・ミュージックをプレイしていたけど、レコード・プールにも所属していて、Prelude、Salsoul、Columbiaとか、メジャー・レーベルのレコードをもらっていた。叔父は私に、そのレコードを全部くれたんだ。


 80年代に入ると、私はパラダイス・ガラージ、トンネル、ワールド、パラディアムなど、ニューヨークの有名なクラブ全てに遊びに行ったよ。ニューヨークのクラブは大好きだったが、ロンドンとの文化的な違いがあった。ニューヨークのDJはロンドンのDJとは違って、優れたレコードならジャンルを気にせずプレイしていたから、とても視野が広がったね。

ニューヨークからロンドンに戻り、サウンドシステムのGood Timesを立ち上げたわけですね。


 そう。ノッティングヒル・カーニバルでGood Times Sound Systemを始めたんだ。叔父がサウンドシステムを運営していたし、私はカリブ系でもあったから、昔からサウンドシステムをやりたいと思っていた。最初のサウンドシステムは兄貴が作ってくれたけど、リサイクル・パーツで組み上げたものだったね(笑)。


 ノッティングヒル・カーニバルは子供の頃から通っていたが、55年という長い歴史をもっていて、毎回100万人以上がストリートに集まるんだ。もともとカリブ系のフェスティバルだったが、私の出現によってあの祭りの音楽的視野が広がったんだよ。昔はレゲエ、ソカ、カリプソがメインだったけど、私がそこでファンク、ソウル、ディスコ、ヒップホップ、ハウスを初めてプレイするようになった。

当時あなたがプレイしていたような音楽に抵抗感を示す人もいましたか?


 そうだね、リスクはあったよ。当時の私はまだ若く、怖れを知らなかったからできたんだ(笑)。ニューヨークから持ち帰ったファンクやゲイ・ディスコのレコードをプレイして、最初は受け入れてもらえなかったけど、ノッティングヒル・カーニバルでプレイすることによって徐々に浸透していった。私がプレイしていたディスコやソウルのチューンが、数ヵ月後にメジャーなチャート・ヒットになったんだ。私は誰よりも早くそういうレコードをカーニバルでプレイし、ブレイクさせていった。徐々に私も有名になっていったね。

その後、ラジオ番組を始めました。


 あれは80年代半ばのことだった。そこで『The Original Rare Groove Show』という番組をやっていたが、その番組から“レアグルーヴ”という言葉が生まれたんだ。

どうやってその言葉を思いついたのですか?


 私はレアグルーヴをジャンルだとは捉えていない。ソウル、ロック、ジャズ、ポップスなど、どのジャンルの音楽もレアグルーヴになりうるんだ。レアグルーヴというのは、簡単に入手できない音楽のことで、それは新譜かもしれないし、過去の音源かもしれない。当時ラジオで私がプレイしていたレコードは、とてもレアだった。だから、私のラジオ番組を通して、多くの人がレコード・コレクターやディガーになったんだ。あの番組では、ビンテージ・レコードと新譜をミックスしていた。私がプレイしていた新曲は、まだリリースされる前のものだったから手に入らないし、古い音源は廃盤になっていたからなかなか入手できなかった(笑)。


 『The Original Rare Groove Show』があまりにも人気になり、“レアグルーヴ”という言葉はひとり歩きするようになった。そもそもラジオ番組で古い音源をプレイするようになったのは、60年代から現代のブラック・ミュージックのストーリーを伝えるためだったんだよ。私には、それを伝えるための知識とレコードがあった。途中から番組のルールを変えて、新しいヒップホップやハウスなどもプレイするようになったけど、それは過去の音楽の歴史を見せつつ、未来への道を見せたかったからだ。


 私のラジオ番組は、多くの人にとっての音楽教育になったと思う。あの番組が、ソウルIIソウルなどのグラウンド・ビートやアシッド・ジャズなどに繋がった。1985年に海賊放送の番組として始まったが、1990年に正式なラジオ番組になった。でもその少し後に、ラジオの世界でできることを全てやり尽くしてしまったから、私は次の段階に進むことを決心したんだ。

90年代に入り、あなたはジャイルス・ピーターソンと共にレーベル、Talkin’ Loudを始めました。その経緯を教えてください。


 もともと私とジャイルスは友達だった。彼はジャズが専門で、私はファンキーな音楽やディスコが得意だった。2人ともただのDJで、レーベル運営の経験など全くなかったが、Talkin’ Loudを立ち上げることにしたんだ。メジャーのレコード会社と契約し、大きなバジェットをもらったから、仲間の音楽をリリースすることにした。ヤング・ディサイプルズ、ガリアーノ、インコグニート、ジャミロクワイはみんな、もともと私たちの友達だったんだ。彼らはみんな、私がプレイするクラブに毎週遊びにくる常連客だったり、出演している人で、彼らにレコードを貸したり、彼らのためにミックステープを作ったりするような仲だった。ソウルIIソウルやブランド・ニュー・ヘヴィーズとかもそうだね。Talkin’ Loudから出していた音楽はその後、ひとつのムーヴメントにまで発展したんだ。

2002年にあなたは大英帝国第五級勲位であるMBE勲章を女王から授与されましたが、その事実について教えてください。


 私のブラック・ミュージックへの貢献が認められたんだ。女王から授与されたものだから、どんな音楽賞よりも権威がある。アメリカで言うと、ホワイトハウスに呼ばれてDJの勲章をもらうようなものだね。私がMBE勲章を授かったことは、クラブ・カルチャーがイギリスの最も高いレベルで認知されたことを意味する。授章した1日だけはセレブになれたよ(笑)。

イギリスのクラブ・シーンはドラムンベースからガラージ、そしてダブステップへと移っていきましたが、現在のイギリスのクラブ・カルチャーについてはどう思いますか?


 素晴らしいよ。久しぶりに活気づいてると思うね。音楽に興味がある若い人にとって、ロンドンはエキサイティングな場所なんだ。毎日イベントがあって、あらゆるタイプの音楽を楽しむことができる。今でもイギリスは、世界のクラブ・カルチャーの中心地なんだよ。ただ、インターネットの登場により、音楽の楽しみ方が一変した。レコードとは違い、ダウンロードした音楽では五感が刺激されない。その結果、昔のようにじっくり時間をかけて音楽を楽しまなくなってしまったけど、時代の流れの変化を止めることは誰にもできないね。

ダブステップなどもプレイするのですか?


 ああ、プレイするよ。私がDJをするときは、全ての音楽の点と点を繋いでいる。全ての音楽に何らかの繋がりがあることを見せているんだ。レゲエがなければダブステップは存在しないし、ディスコがなければハウスは存在しないし、ジャズがなければ全ての音楽が存在しない。マイルス・デイヴィスはこう言っていた。「この世にはふたつのタイプの音楽が存在する。それは、いい音楽と悪い音楽という意味ではない。アナログとデジタルのことだ」。つまりは、そういうことなんだ。

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