Timmy Regisford (The Shelter/ NYC)

March 22,2011 | Category :  News | Tag :  Timmy Regisford,

text & interview by Ken Hidaka (hangouter/ Wax Poetics Japan)

あなたはスティール・パン・ドラムが有名な国のトリニダッドで生まれましたね。ニューヨークにはいつ移住したのでしょうか?

トリニダッドで生まれ、2歳の時にジャマイカに移り住み育ったんだ。そして11歳の頃、ニューヨークに移住した。スティール・パン・ドラムに関して実はあまり知らないんだ(笑)。ジャマイカはレゲエが有名だから、スティール・パン・ドラムとは無関係だよ。


なぜDJを始めたのですか?

若い頃、(パラダイス・)ガラージに行ってラリー・レヴァンのプレイを聴いて、彼がやっている事に憧れて自分もDJになる決意をしたんだ。


14歳の頃、ガラージに忍び込んだのでしょうか?

いや、別に忍び込まなかったよ。みんなと同じように入場料を払って入ってた。誰かが連れてってくれたんだ。


ラリー・レヴァンのどの部分に影響されましたか?

彼がプレイした音楽そのものさ。サウンド・システムを操って観客をコントロールする方法もね。ミックスする事を実際に教えてくれたのは、トニー・ハンフリーズだった。彼はビートを合わせる事を教えてくれた。


20〜30年間、ニューヨークのトップDJとして、誇るべき功績は?

何もないよ。私はただ好きな事をやっているだけだ。誇りに思う事はないんだ。プライドが高くなると、安心してしまうから安心はしていないね。常に修行をし続けて、自分がやっている事を向上させようとしている。だから、何かを誇りに思う暇さえないよ。


あなたのクラブである、シェルターに関して話して下さい。

自由。発散できる場所。厳しい平日を働いた後に行きつく場所。麻薬やアルコールではなく、純粋に音楽が根底にある場所。音楽のみだよ。


あなたのプロモーターがクラブは改装中と教えてくれました。

全く新しいスペースで開けようとしている。場所は(マンハッタンの)150ヴェリック・ストリート。2011年3月に再開予定だよ。


なぜ改装する必要があったのでしょうか?

より広いスペースを使えることになったから。


1991年にクラブを営業開始した頃、そこで何をしたかったのでしょうか? クラブ・シェルターは、他のクラブと何が違うのでしょうか?

ただ素晴らしい音楽を最高なサウンド・システムで聴けるクラブをオープンしたかっただけだ。我々は音楽に対して誠実なんだ。この新しいスペースをオープンするまで酒類販売許可証なんて所得してなかった。それはいつも音楽に基づいていて、人々がアルコールを買いにくる場所ではなかったからなんだ。いつも音楽が中心だった。


クラブ・シェルターのどの要素を誇りに思っていますか?

アンダーグラウンド・ミュージックに誠実なところだよ。


あなたは1985年からWBLS(NYを代表するダンス系専門のFMラジオ局)でアシスタント・ミュージック・ディレクターとして働き始め、その後、音楽ディレクターになりましたね。80年代から90年代にかけてミックス番組で有名だったWBLSラジオはどんな感じでしたか?

17歳から働き始めたんだ。インターンとしてこのラジオ局で働き始めた。そうだね、1986年からだったよ。インターンとして働いた頃にラジオ局のDJになり、自分のミックス・ショーをやるようになって、その後プログラム部署に異動して音楽ディレクターになったんだ。その時期は自分に取って最も音楽について知識を吸収した頃だった。ダンス・ミュージック以外の音楽は知らなかったけど、フランキー・クロッカー(WBLSの人気ラジオDJ)の下で働き始め、ブルース、ジャズ、マイルス・デイヴィス、エタ・ジェームズ、BBキング、キング・プレジャーや、クインシー・ジョーンズなどのプロデューサー達の事も教えてくれた。音楽の事はフランキー・クロッカーから習った。その後、プログラム部署に移動して音楽ディレクターになったんだ。その時期は自分にとって最も音楽について知識を吸収した頃だった。


どんなミックス・ショーを行ったのか、またどんな音楽をプレイしたのか教えて下さい。


ダンス・ミュージック全般。ザ・スピナーズ、ザ・テンプテーションズをプレイしていた。ステファニー・ミルズ、シャラマー、ほとんどのR&Bグループの曲だね。昔、ウィスパーズとかは、ダンス・ミュージックを制作していたんだ。R&Bは70年代の頃、ダンス・ミュージックと見なされていた。


当時、あなたのWBLSのミックス・ショーは、ニューヨークのクラブ・ミュージック・シーンと密接な関係を持っていたのでしょうか?

そうだね、当時はダンス・ミュージックだったから。


シェップ・ペティボーンがKISS FMで番組を行っていましたよね。

シェップ・ペティボーン、トニー・ハンフリーズがKISS FMで番組をやっていたよ。


90年代の初旬に、私はニューヨークに行き、WBLSを聴きました。正午にジョン・ロビンソンの番組を聴き、昼間からハウスが聴けるなんて衝撃的でした。まだニューヨークで聴けるのでしょうか?

もう聴けないよ。しかし、KISS FMでは金曜の夜にたまにハウスをかける番組がある。ルイ・ヴェガとケヴィン・ヘッジズ(ブレイズ)がWBLSでダンス番組をやっていて、ダリル・ジェームズがKISS FMで番組をやっている。毎週金曜日に、私と仕事をしているルーべン・トローがKISS FM番組をやっているんだ。


なぜ80年代後半、90年代の前半に昼間からハウス・ミュージックがかかっていたのでしょうか?

その当時、ハウスはエネルギーに溢れる音楽と見なされていた。毎回ラジオを付けると、コマーシャルを聴かずにすみ、試聴者がイキイキとなれるように、ラジオ局はテンポをあげたかった。だから試聴者向けにダンス・ミュージックをプレイしたんだ。ダンスだったらその当時は何でもプレイする事が出来て、毎回ラジオをつけると、コマーシャルを聴かずに済み、今よりも自由だった。


WBLSの後、88年にメジャーのレコード会社であるアトランティック・レコードのA&R(制作ディレクター)に就任しましたね。なぜラジオからレコード会社に転職したのでしょうか?

昔からタレントを探し出す仕事をしたかったんだ。正直に言うと、ラジオ局で働き始めてから音楽業界の違う側面を発見した。14歳に(パラダイス・)ガラージに通っていた頃、ラリー・レヴァン、ティー・スコット、リック・リチャードソン、シェップ・ペティボーン、当時ニューヨークで人気のあったDJ達は皆ゲイだった。彼等を見てDJ業界で成功する必須条件はゲイでなければならないと信じ込まされていた。しかし、ラジオ局で働き始めてからこの業界は完全に違っている事に気付いた。レコード会社に勤めていると、働いている人達は皆結婚していて、子供がいて、毎日家に帰っているし、クラブには通わずにレコードを宣伝していたんだ。以前はゲイでなければビッグDJになれないと信じ込まされていたけど、自分はレコードをプレイするために男らしさ(異性愛者である事)を失いたくなかったからね。でも、WBLSに勤め始めた頃はまた違う側面が存在している事がわかってきたんだ。その違う側面とは、メジャーのレコード会社に訪れるとダンス・ミュージック担当の人達は皆ゲイだったってことだ。


そうなんですか!

だから、(メジャーの)レコード会社の上層部はダンス・ミュージック担当者をゲイの人に任せたし、またニューヨークで当時ビッグなDJはみんなゲイでもあったんだ。ニッキー・シアーノから、ティー・スコット、ラリー・レヴァン、フランキー・ナックルズ、皆ゲイだった。私が知る限り当時唯一ゲイでなかったDJは恐らく、デヴィッド・モラレスとトニー・ハンフリーズだけだ。その時代は、クラブの現場からストレート(非同性愛者)の奴等は成功するチャンスがなかったんだ。我々はラジオ業界でチャンスを掴んだんだ。


と言う事はそれ以前はクラブでDJしていなかったんですか?

いやいや。クラブでDJしてたし、そこでフランキー・クロッカーに見出されて、ラジオ局に来てくれと誘われたんだ。ラジオでチャンスを掴んで、その後またクラブに移行していった。


(アトランティックで制作ディレクターとして働いていた頃)ミキ・ハワード、レヴァート等のR&Bのアーティストを手がけました。確かではありませんが、あなたはアトランティックにいた頃、1989年にテン・シティと契約し、『Foundation』のアルバムを手がけましたか? 私に取って、この作品は初めて購入したハウス系のアルバムで、確かカセットを手に入れました。また、ルドルフォ「Sunday Afternoon」も貴方は手がけたのでしょうか?

そうだね。

当時、ミキ・ハワード、レヴァートなどのR&Bのアーティストはたくさん売れ、対照的にシカゴから出て来たテン・シティとも契約した。

その当時はテン・シティも作詞作曲していたよ。当時のハウス・ミュージック(の代表的なアーティスト)はカーネル・エイブラムズだった。カーネル・エイブラムズと契約したけど、彼の音楽はハウスでもあったしR&Bでもあった、またダンス出来るスタイルだったし、歌物でもあったんだ。彼等はちゃんとした歌える楽曲を出していたんだよ。


当時、ハウスがR&Bぐらい大きくなると思いましたか?

ニューヨークやシカゴ、またもしかしたらロスやボストンなど、特定の大都市の音楽市場では上手く行くと思ったよ。でも、中西部ではダンス・ミュージックには興味がなくて、彼等はギャップ・バンドやコン・ファンク・シャン、ザ・ウィスパーズみたいなファンクの人気があったね。大都市ではどちらかと言うとダンス・ミュージックを聴いていて、中西部ではよりR&Bを聴いていた。場所によって、違うスタイルの音楽をプレイしていたんだ。しかしイギリスでは、(その当時)はすべてダンス・ミュージックだったよ。今の南アフリカみたいにダンス・ミュージックが人気だった。イギリスではすべてのコマーシャルな音楽がダンス・ミュージックだったんだ。ダンス・ミュージックはポップ・ミュージックだったのさ。


そうですね、イギリスのBBCの音楽番組、トップ・オブ・ザ・ポップスではダンス・ミュージックのアーティストが頻繁に出演していましたね。現在のR&Bが成功しているように、テン・シティのようなダンス系アーティストがアメリカ、ヨーロッパ、日本、全世界で成功を収めると思いましたか?

いいや。ある特定の音楽市場でしか上手く行かないと思っていたよ。唯一ダンス・レコードとして50万枚のアルバムを売ったのはカーネル・エイブラムズだったから。あの当時、タイミングが大事だったんだ。彼は丁度良いタイミングに現れた。当時、男性でダンス系のアーティストが他にいなくて、MCAが彼の事を後押しして50万枚のレコードが売れた。ある特定の音楽市場でしか上手くいかないと思っていたよ。


なぜ、アトランティックからMCAに転職したのでしょうか?

良くある事さ、誰かがやって来て私により良い条件を提示し、働いていた会社に相談すると、彼等はそんな多くは出せないから、その条件を受け入れた方が良いと了承してくれて転職したんだ。私にとってはベストな転職だったよ。MCAで雇って貰った人とは15年以上も一緒に働き続けた。私はMCAで彼の下で働き、共にモータウンに行き、その後ドリームワークス、そしてポリグラムへと移った。彼の名前はジェラル・バズビー(伝説的な音楽業界の大物)だ。彼と働き始めた頃はボーイズIIメンやクィーン・ラティファなど、たくさんのグループと契約したんだ。


あなたがモータウンで働いていた頃、ブレイズの「25 Years Later」も手がけたと思います。日本でも多くの方に取ってかなり愛されているアルバムなので、ブレイズの「25 Years Later」(モータウン/1990発売)について教えて下さい。数年前に再発され、名作としても評されています。

BLAZEはWBLSで働いている時、私に最初にアプローチしてきたグループのひとつで、彼等が初期のダンス・レコードを出していた頃にプロデューサーとして出会った。そして彼等にこう助言した。「皆は凄く成功すると思うが、オリジナル楽曲を作詞作曲し、自分たちで演奏しなければだめだ」と。その後、彼等は数年間デ・レイシーとか数多くのレコードを制作し大ヒットを収め、その後(ブレイズの)ケヴィンがまた私の所に来てこう言ったんだ。「ちょっと違うものを手がけたい」と。生演奏バンドとして、ライヴ録音するダンス系アルバムを制作したいと言って来た。私のアドヴァイスを受け入れ、カーティス・メイフィールドやアース・ウィンド&ファイア、スティービー・ワンダーなど、インスパイアされたアーティスト全ての要素を取り入れ『25 Year Later』を制作したんだ。彼等がアルバムを制作している時、全ての演奏も見守ったよ。このアルバムのためにスタジオにオーケストラも連れて来た。ドラム・マシーンやシンセとか使わずに全てライブで生演奏されたんだ。そして、このアルバムはある特定の音楽ファンに必ず受け入れられると確信した。この作品は凄くでかくなるとは思わなかったけど、確実にカルト的な人気が出ると思った。本作は、ブレイズの成長過程中の一連の作品と私は考えている。その後、馴染みのある、ドラム・マシーンを使用した音楽制作に戻り、似たような作品を出さなかった。私はこのアルバムを本当に気に入っているよ。


1995年にタブー(モータウン傘下のレーベル)からフェミ・クティのアルバムを手がけた事を話して下さい。恐らくその当時、アフロビートはトーキング・ヘッズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーなどがアフロビートとフェラ・クティを支持はしていましたが、1995年にはまだ凄くカルト的な音楽ジャンル、又はワールド・ミュージックのジャンルとして扱われていた印象があります。

アメリカでアフリカの音楽を紹介し、ちゃんとメジャーのレコード会社から出したいと思っていたんだ。なぜなら、その時まで誰も的確な形でリリースしていなかった。フェラの音楽を入手しようとしたけど彼に断られ、代わりに彼は息子を紹介してくれた。だからフェミをアメリカで紹介し、2枚のアルバムを制作してリリースした。その後、ツアーをし始めたよ。それに、私は全世界とも繋がりたかった。その時は世界への窓口はフランスだったんだ。すべてのアフリカ音楽はフランスを経由しなければならなかった。アメリカはアフリカ音楽に関してかなり遅れていたけど多少支持はされていた。だから、ワールド・ミュージックを(アメリカで)やり始めたかった。 


フランス、パリに行き、その知識を得たのでしょうか?

いや、大学在学中にフェラの音楽に出会ったんだ。彼の音楽を聴き始め、追いかけ始めた。ババ・マール、ヒュー・マサケーラなども聴き始めた。しかし、フェラ・クティの音楽が常に他の(アフリカの)アーティストの音楽よりも抜きん出ていた。他と比べて最も印象深いのはなぜかと言うと、音楽が政治的発言そのものだったからだよ。彼は常に何かと戦っていて、言うべきことは発言していた。フェラ・クティはアフリカのボブ・マーリーみたいだった。だから私は彼の音楽に引きずり込まれたんだ。そして、全てはジェラル・バズビーのお陰だよ。彼は私に機会を与えてくれ、OK、やってみようと言ってくれた。彼はいつも「なんで?」の代わりに「なんでやらないだい?」と言っている人だった。成功している時、新しい試みを行うのは簡単になる。もし成功したら「何か、新しい事をやってみよう」と言う事になる。あと、その当時の現状も考えてみると、カセットやアナログ・レコードの替わりにCDが普及され始めていた。当時のレコード会社は自社(旧譜の)カタログをCDフォーマットで出し直して、大儲けをしていたんだ。我々は音楽CDを販売し、売上げ記録を塗り替える年がよくあったよ。レコード会社の問題は、CDの普及後にミニ・ディスクが出て同じ事を繰り返すかと勘違いしていた。そう思っていて大失敗した。そして、レコード会社は大打撃を受け倒れ始めたんだ。その後CDRが出て来てまた打撃を受け、デジタル配信が登場したら、すべてが地獄のようになっていったんだ。

あなたは多くの大物R&Bのアーティストとリミックス企画を手がけましたが。例えば、パティ・ラベル、スティール・パルス、ニュー・エディション、ボビー・ウォーマック、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、ダイアナ・ロス、スティービー・ワンダー等々。こういった大物のR&Bのアーティストのハウス・リミックスを手がける意味を教えて下さい。

メジャーのレコード会社で働くには、すべての宣伝方法を考慮しなければならないんだ。もしダイアナ・ロスの音楽がクラブ向けのものでなければ、我々はクラブでプレイされるように、より多くのアルバム売上げの為にクラブ向けのものを制作しなければならない。昔、アルバムの売上げを良くする為にダンス系のものは宣伝ツールとして使用された。ダンス・リミックスやDJ達がレコードをリミックスした唯一の理由は、アルバム宣伝の手助けをする為だったんだ。(ダンス・リミックスの)12インチが多く売れると予想したからではない。メジャーのレコード会社がダンス・リミックスをリリースした場合、9割位は正規盤として発売されないんだよ。アルバムの売上げを延ばす為に宣伝ツールとして使用するだけだ。だから、おそらく私やその他の人達のリミックスがアルバム売上げの為にプレイされていたんだよ。それがダンス・リミックスが制作された唯一の理由だよ。


その当時、売り上げを刺激したのでしょうか?

そうだね。リミックスを手に入れる事は出来ず、楽曲を聴いたらアルバムを購入する必要があったから。我々は(正規で)シングルをリリースしなかったんだ。

いくつかは白盤のヴァイナルでリリースされたかと思いますが。

DJが使用する為だけに。


メジャーのレコード会社に働きながら、同時にニューヨークでハウスDJするのはどんな感じでしたか?


DJは趣味だった。未だに趣味だよ。私はいつも音楽業界で働いていた。結局、R&Bのグループと音楽関係の仕事をしてはいるが、私にとってDJする事は好きな事(LOVE)で、趣味なんだ。仕事と思い始めたら辞めなければならない。なぜかと言うとDJする事は本当に好きなことだから。

まだA&R(制作仕事)をしていますか?

ユニバーサルでレーベルを運営しているよ。今、4つの違うレーベルを持ち、制作活動している。フェラ・クティのプロジェクトが進行中だ。フェラ・クティの映画の為にね。


いつフェラ・クティの企画が出るのですか?

今年出るよ。


映画もそうなんでしょうか?

映画は9月にライオンゲートが配給し公開される。きっといい映画になるよ。


80年代や90年代に比べて、今アーティストをブレイクさせる過程は変わったかと思いますか? 制作、宣伝、マーケットする過程も?

すべて変わってしまったよ。制作も変わった。誰もスタジオを使わない。基本的に自宅で制作し、プログラムしている。宣伝に関しては、誰もレコードの売上げを気にしなくなったし、スポンサー契約を確保する為に今のアーティスト達は自身の音楽を露出する方法を探しているんだ。だから、アーティストの音楽と活動の為に、スナップやギャップ、ハイネケンみたいな大企業がスポンサーしてくれるか希望を託し、認知を上げる為にレコードを出しているんだ。


芸術みたいですね。芸術業界にはスポンサーがアーティストを支援するような制度が設けられていますよね。

その通りだね。今、音楽活動を行うのはスポンサーを得る為だ。アーティストが活動出来て儲ける為に。レコードの売上げではもうお金を稼ぐ事が出来ないからね。全世界でレディ・ガガが1,200万枚の売上げを達成した事に対して誰ももう驚かないよ。昔、私がボーイズIIメンと契約した時、彼等のデビュー・アルバムは500万枚売れ、2枚目は1,400万枚売れ、3枚目は1,600万枚売れた。そんな時代はもう終ったんだ。完全に終止符を告げたから、(レディ)ガガみたいなアーティストが登場し成功して全世界で1,200万枚売れても、凄い規模だと思うけど、もうそれほど頻繁には起きないと思うよ。現在、レコード会社がアーティストと契約する主要な条件は、レコード会社がアーティストの全般的な収益を得るものだ。幾つかの組織は(アーティストと)契約し、宣伝、マーケットする権利を保有する。アーティストのマーチャンダイズ(物販)の収益、ツアーの収益を一つの傘下契約に入れ込み、アーティストに小切手を渡し、そしてアーティストをスポンサーする広告代理店やスポンサーの雇用者となる。彼等のブランドの為のビジネスを促進するために。今の音楽業界はそんな感じだ。


昔と現在の音楽の良さと悪さを教えて下さい。

昔、何が良かったかと言うと、よりクリエイティヴなプロセスがあった事だ。よりリスクを負っていたよ。今あまり良くない事は、デジタル配信とかすべてがかなり早いから、音楽を販売するのは困難なんだ。昔は宣伝する期間が長くて、徐々に育つ事を見守る時間があった。今では作品を直ぐに出す必要があり、即座に露出され去って行く。技術革新によってこうなったんだ。すべての流行廃れが早過ぎる。10年前には、1枚のアルバムをリリースし、1年半待ってから新作を出す事が出来た。今の音楽市場ではそんな風潮はもうなくなり、1年に2〜3枚出しても10年前の出し方に比べて、すぐに消え去ってしまう。なぜかと言うと、時間の進み方が昔より早くなっていて消費者はより多くの選択肢が常に目の前にあるから、今はより露出回数が多ければ多い程良くなっているんだ。昔は過剰な露出は見下されていたけどね。今、それは存在しないね。なぜかと言うと、消費者の選択肢は豊富だから。


今、ネットに行くと、選択肢がとんでもないほど多いですね。

それを言いたかったんだよ、今あまりにも選択肢が多過ぎていて、回転が速過ぎるんだ。以前だったらお店に行って、アルバムに収録されている1曲を購入する事なんて出来なかった。でも今はアルバムに収録している好きな楽曲を選ぶ事が出来て、アルバム自体を買わなくても済む。


まるでシングルの販売が中心だった50年代みたいですね。

そうかもしれないけど、あまり良くない事だと思うね。誰かが制作したクリエイティヴな作品を分解している事になるからね。そのアルバムを手にすることは、そのアーティストの精魂込めて制作した作品を手に入れる事で、そこに収録された楽曲を長い期間聴きながら徐々に馴染んでいくものだ。ケム(KEM)やジル・スコットみたいなアーティストは精魂込めて作品を制作していて、音楽が(アルバム全体に通して)何かを物語っている。それを分解したら、彼等がどんなアーティストなのかわからなくなってしまう。それは良くない事だと思うよ。


そうであればメジャーのレコード会社は、iTunesなどでアルバムをフルだけで販売したいと言わないのでしょうか?

彼等は商売をしていて時代の流れは止められないからだよ。でも、それは間違った展開であって、もし消費者にアルバムを購入する事を教えれば、彼等はアルバムを買うようになると思うよ。


それでは、今でもプレイするクラシックスのトラックを教えて下さい。

難しいなぁ。楽なのは、音楽的にインスパイアされたアーティストを伝えることかな、彼等の音楽はタイムレスだし……アース・ウィンド&ファイア、スティービー・ワンダー、ブレインストーム、アル・グリーンだね。彼等は時代を先取りしていた。例えば、アース・ウィンド&ファイアの音楽は発表された当時からずっとタイムレスで、当時かなり斬新なものだったし、今でもその感覚は変わらない。アース・ウィンド&ファイアの曲を今聴いたとしても、未だに素晴らしい。サウンドのクオリティーも。彼等は生演奏で音楽を制作していたからね。スティービー・ワンダーや、ブレインストームが創り出した音楽もとても先駆的だったし、彼等の音楽は私に取って今、尚タイムレスな音楽だよ。


彼等の音楽は時代を先取りしていたと?

なぜかと言うと、その頃、みんなはその良さを理解出来なかったかと思うんだ。聴いていたとは思うけどね。一発屋のアーティストは昔からたくさんいたからね。例えば、ジュニアの「Mama Used To Say」は大ヒットしたけど、その後彼は何か出したかい? 消え去ったよね。そんな感じのアーティストがたくさんいたんだ。グレゴリー・アボット「Shake You Down」とかね。アース・ウィンド&ファイアやブレインストーム等のグループの音楽はタイムレスなんだ。彼等は多数の名作を録音し、今でも発売された当時と同じように素晴らしく聴こえる。そう言う意味でタイムレス(時間を超越している)と伝えたかったんだ。

ニューヨークのアンダーグランドダンスカルチャーを支え続けている伝説のCLUB“The Shelter”総帥、躍動感溢れる超ロングプレイで知られる漆黒のマエストロ“ティミー・レジスフォード”が遂に“Heartbeat”ミックスCDシリーズに登場 !! ブラックネス満載、未発表の最新エクスクルーシブ6曲を含む3年振りのミックスCD !!
ティミーが醸し出すドス黒い焼け焦げるような強烈なエナジーは、はち切れるような驚異の肉体から発散させられるフィジカルバイブレーションとの相乗効果によって、否がおうでも、世界中のダンスフロアを熱くさせる!! 

Heartbeat Presents 
Mixed By Timmy Regisford (The Shelter/ NYC)
×AIR(DAIKANYAMA/ TOKYO)

2011.5.18 Release !!
LACD-0215

¥2500(tax in) ¥2381(tax out)

1. TENSION/Timmy Regisford

2. GOD CREATED WOMAN/Margaret Grace

3. UNTITLED TRACK/ADAM RIOS

4. SOMEDAY/BOBEZY FIATSIPHU *(未発表曲)

5. KUBU(INSTRUMENTAL)/DADDY *(未発表曲)

6. KUBU(VOCAL)/DADDY *(未発表曲)

7. UNITY ORGANIC DRUMS/FABIO GENITO

8. WILLIE/BOTTHI SATVA

9. UNCONDITIONAL/ADAM RIOS

10. TIL THE COPS COME KNOCKING(INST)/Timmy Regisford&Quentin Harris

11. SUFFERING&SHMILING/FELA KUTI *(未発表曲)

12. MAGIC DRUMS/Timmy Regisford&ADAM RIOS

13. MY JOY(ORGAN MIX)/Timmy Regisford&Quentin Harris

14. YOU ARE WONDERFUL/KT BROOKS

15. SUNDAY SESSIONS/ADAM RIOS

16. BADDLU AYEY YEMAYN/Lou Garbea

17. FEEL BETTER/Margaret Grace

18. AT THE CLUB/Timmy Regisford

19. TRYING HARD/Timmy Regisford *(未発表曲)

20. DON’T WORRY/Georgia C&Quentin Harris

21. WE FALL DOWN(INSTRUMANTAL)/Timmy Regisford

22. HOLDING ON/NATHAN ADAM *(未発表曲)

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